BLOGOSについて

   

BLOGOSブロゴスというのだろうか。ときどき読ませてもらう。色々のブログ記事の集積のようなものらしい。話題は新聞と似たような題材である。最近は新聞が主張のある記事はあまり面白くない。新聞の予定調和のようなありきたりの記事より、ブロゴスのほうが個性がはっきりしている。極端にゆがんだ、変なことが書かれている事が多いのだが、中にはましなものもある。何をバカなと思いながら拾い出して読むから面白い。責任がどの程度あるのか分らない記事。しかし、当事者以外に書けないようなものも良くある。私としては残念なことは、農業分野の記事がない点である。自民党の石破幹事長が集団自衛権について書いている。概ね正しい意見だと思うが、憲法9条と集団的自衛権の武力行為の範囲は明確でない。この議論が正しく行われていないと、一方的な感情論で、集団的自衛権が否定されているとしている以上。石破氏自身も、9条との関係と範囲を明確に述べるべきだろう。そうでなければ、単なる思い込み論の一つということになる。

集団的自衛権を考えるときには、あくまで具体的事例で考えることが必要になる。国連の安全保障委員会の決議があるのかどうか。これも一つの材料になる。例えば北朝鮮の行動に対して、国連は制裁決議を行っている。これに呼応する日本の北朝鮮に対する、経済、交流の制限も一つの集団的自衛権の行使ともいえる。自衛とはまず軍事力という発想ではないはずである。やるべきことをやりつくして最後の手段が、武力の行使ということである。現在アメリカはシリア政府に対して、サリンを自国民に対して無差別にミサイル攻撃をしたという理由で、武力行為を行おうとしている。この攻撃日本が加わることは、集団的自衛権の行使であるのかどうかである。結局、ロシアの外交力で窓が開いた。シリアが、アメリカを攻撃している訳ではない。同盟国アメリカが、軍事的攻撃を受けた場合、日本がアメリカを守るために、武力を行使すべきかどうかの問題である。

今日のブロゴスのトップには、小泉主張の原発錯覚論というものが出ていた。これままた幼稚な議論の組み立てである。どういう人が書いているのか知らないが、全く低レベルな主張である。しかし、だからブロゴスは目を通す。人の意見は様々で、幼稚なものから、深遠なものまで、レベル差もある。しかし、民主主義では、どれほど幼稚な意見でも、きちっと話しを聞く。この態度は大切である。ブロゴスで意見は出せば、在る程度の時間が経過吸えば、この人はこの程度のことしか言えない人なのかと判断がなされる。今行われている原発に関する意見も、誰のものが錯覚であるかは5年もすれば明らかになる。又、明らかになる様な判断がそれまでに行われないようなら、日本がだめだという事態だろう。

ブロゴスというものは、誰が何のためにやっているのかは分からない。色々のコマーシャルが入っているから、こういう費用で運営がされているのだろう。タグランキングというものがあり、以下のようになっている。1河野談話 2米国デフォルト 3靖国神社参拝 4やなせたかし 5教育再生実行会議 6解雇特区 7mixi 8秘密保護法 9大学入試 10みずほ銀行 となっている。これはアクセス数を表しているのだろう。靖国参拝についても誰かがどこかに書いているブログである。それをブロゴスに登録しているのだろう。誰でもできるということでもないようだから、編集部というところが、判断をしているシステムなのだろう。著名な人であっても無名の人であっても、議論の中では、同じ条件である。今まで現れては消えた、ネットのメディアが成立するのかどうか。興味深い。

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