美しい日本の農政
たしか、「美しい日本」というのが前回の安倍氏が総理大臣だった時の目標ではなかったか。まだあのときの文章が内閣府には残っていて懐かしい気分になる。
一つ目は、文化、伝統、自然、歴史を大切にする国であります。
二つ目は、自由な社会を基本とし、規律を知る、凛とした国であります。
三つ目は、未来へ向かって成長するエネルギーを持ち続ける国であります。
四つ目は、世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国であります。
昨年末文芸春秋には「新しい国へ」瑞穂の国の資本主義という事を書いている。
日本という国は古来から、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら、秋になれば五穀豊穣を祈ってきた「瑞穂の国」。私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります。
棚田は労働生産性も低く、経済合理性からすればナンセンスかも知れません。しかしこの美しい棚田があってこそ、私の故郷なのです。そして、この田園風景があってこそ、麗しい日本ではないかと思います 。市場主義の中で、伝統、文化、地域が重んじられる、瑞穂の国にふさわしい経済のあり方を。自立自助を基本とし、誰かが病に倒れればみんなでこれを助ける。これが日本古来の社会保障。
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」(古事記)「豊葦原千五百秋瑞穂国」(日本書紀)みずみずしい稲穂を意味する瑞穂の実る国が日本である。全く安倍氏に同感である。美し稲作の国、日本である。もし、安倍氏が保守本流の思想を持つ人間であるなら、是非ともこの理念を総理大臣としての施策の根本に据えてほしい。すべてをこの観点から考えてほしい。言葉の通り、故郷の棚田が無くなるような、経済政策は取らないようにしてほしい。美しい棚田をどのように維持するか。この具体的な政策を示す事が、総理大臣としての役割である。今経済の緊急対策という事で、莫大な借金をして、公共事業を行おうとしている。これは従来のばらまき公共事業とは違うと言う事を、強調している。言葉通りであるなら、次の産業の育成のための、つまり米百俵としての我慢の投資でなければならない。古くなったトンネルや橋の直し。学校や病院の耐震補強。こうした公共事業は次の産業の呼び水にならない。
建前と本音という事がある。安倍氏が嘘をついている訳でもないのだろう。瑞穂の国をうつくしい日本という認識はある。日本の美しい国土から生まれてきた、稲作を基本とする日本の文化、伝統を愛する日本主義者の一人であるという意味では、私の仲間である。所がそうした日本を再生する道筋が異なる。私は実際に田んぼが無くなってきたので、これを復活しなければならないと考え実行している。しかし、農業が産業としての合理化が進められれば、日本の美しさを醸成してきた、中山間地の集落は人が居なくなるだろう。美しい国を作り上げるためには、山間地が放棄されてはならない。ところが、安倍氏は経済が衰えれば、日本全体が委縮し、美しい国の再生もできなくなると考えるのだろう。ここに方向が分かれる原因がある。日本が最も美しかった時代は、江戸時代である。貧しい時代である。貧しくともご先祖を敬い、自然に従い暮らしていた。是非ともこの事を思い起こしてほしい。
江戸時代の本当の姿を、想像できないのではないだろうか。明治政府が作り上げた、虚構の江戸時代像に混乱をしているのではないだろうか。未来の産業の活性につながる公共事業とは、補正予算の具体的にはどの部分なのか。I PS細胞の研究に投資すると言うのは、未来に繋がることは分かる。その他探しても、全体で占める割合は、数%にみえる。ばら撒きでないことをガラス張りにして良く分かるようにすると、発言しているにもかかわらず大半は、ばらまき予算以外の何物でもない。復興予算も必要ではあるが、すぐに産業の活性化に繋がるものは少ない。こうした公共投資が一時的に、経済を活性化させるとは思う。しかし、このやり方ではまた、公共事業を当てにする地方の土建業が肥大化する。そして次の仕事を要求することになる。さらに公共事業とならないか。これでは1年後には大きな破たんが起こりかねない。
農地法を変えなくてはならない。放棄されてしまうような、中山間地を今までとは違う枠で、地域指定する。個人に変わり、国がその維持に責任を持つ地域にする。多くの地主が、ご先祖の大切な農地を荒らしてしまう事に苦しんでいるはずだ。一定の条件で国のものとして受け入れる。国が良い農地として維持することを約束する。そして、こうした営農不利条件地を、今までの産業とは違う形の新規就農を行う地域とする。今まで新規就農が成功しない理由は、従来の農家の中に紛れてしまうことがある。新規就農者の意識は全く違う価値観で就農している。どうしても無理が生じてきた。もっと自由に新しい日本の農業を模索できる場所を、国が確保して行くことである。そうした地域指定を可能な所から行う。原則的には補助金農政を止めると言うことも大切なことだ。補助金の一時しのぎで、農業を歪めることは健全な農家が育つことを阻害することになる。