死のこと
一度死のことを書いてみる。死を考えて見ると、今日どう生きるのかの解答がある。死と言うものほど怖ろしいものはない。小学校3年生の時に自分が死ぬということに気づいて、半年ほど恐怖の中で暮らした。死んだらどうなるのか。これを大人たちに聞いたが、眠ったようなものだと言う人がいた。これが一番想像しやすかったのだが、さらに眠ることの恐怖につりつかれた。眠った状態で永遠にいなければならないほどつらいことはないだろうと考えた訳だ。3月11日の大震災以来、自分の死と言うことに、リアルに向かい合うことになった。さすがに、子供の頃のような恐怖感はないが、こんな風に生まれて、生きて、死ぬのかということが、自分の身の上で生に想像できる状況はなかった。まあ、63年5体満足で、大病もせず、有難かったということである。やりたいようにやりたいことをさせてもらったのだから、これで良しとすることしかない。その点はだいぶ諦めがついたな、と言うことである。津波の映像がテレビで流れると、今も、ああ―と声が出てしまう。
人の命が千切れるように去ってゆくということは、どれほど無念で、悲しいことか。どうにも受け止めきれない日が続いている。腕千里の湿疹は、だいぶ良くなったが、治ったと思うと再発してくる。今年の桜も以前の様な目では見れなかった。降り注ぐ花びらだけが、美の違った形を感じさせた。原発によって絶望的な気分にはまりこむ、空しい繰り返しなる。全部嘘だったのだ。死を調べてみると、日本人の死はご先祖の元に戻って行くという感じ方が、本来であった様である。死んでも生きた場所から遠くない所にいる。ご先祖に見守られて精一杯生き、ご先祖とその共同体の中に、戻って行く様な死生観。これが日本人の安心ではなかったのか。しかし、江戸幕府が行った死が寺院に所属する檀家制度の強制。明治政府の行った仏教や民俗的伝統の否定。そして今や、とむらいも、営業としての葬儀社にゆだねられる「おくりびと」の世界。
こうやって生きるという事をごまかし、ながら死んでゆく。ここに到り、情けなく何も出来ずに死んでゆくのか。と安心立命は遠ざかった。黒沢監督の「生きる」を思い出す。死を知って、生きると言うことに直面する。直面したくないから、逃げると言うことも当たり前だ。ただ、死から逃げることのできないものはどうするのかということである。実はどこまで逃げた所で、人間は死ぬ。この事を明らめるのが、道元の仏教の原点。社会とか、人間とか、そう言うものは一切関係なく、ただ自己の悟りである。反社会的なひどい教えであるが、いざ死んでゆくとなればそれしかない。子供だった私が、死の恐怖の中で生きている事を良く知っていたのが、父と母である。父も、母も、死んでゆくことは何でもない事だと言い残して死んだ。これが一番の安心材料である。歳を取ると、ボケて来るのか、若いころほど死を恐怖に感じないものだと父は話してくれた。母は倒れて助かった時、こうして死んでゆくのなら、死というものは何でもないと話してくれた。
原発事故は深刻な契機になった。相変わらずであるが、死ぬということを充分に感じさせてもらえた。すべての外界があの日を境に違って見えている。この後死ぬまでのしばらくを、逃げずに深めることが出来るか。どうにもならない、成果のないことであっても、このことに没頭して行きたいと思う。幸いなことに場は与えられている、ここですべてを使いきって死ぬことが出来れば、有難いことだ。大分ポンコツになって十分な事は出来ない訳だが、それでも覚醒してやってみようと思う。4年間の間に、70%は大震災が来ると予想されている。決意を新たに、もう少しやりたいことがある。死の事を考えると、結局は絵の事になってしまう。自分の目が見ているものを、画面に現してみたい。今のままでは、自分の命に申し訳がない。やるだけはやらなければ、生まれてきたかいがない。