睡眠術
春とはいえ寝付けない時には、寝付けない。10代はかなりの不眠症だった。眠ろうと思えば思うほど、眠れずに朝になる辛さを味わった。眠るのは案外に難しい。眠る方法を試行錯誤しながら体得しし、何とか克服した。座禅をやったことが良い結果になった。生まれが禅寺なのだから、座禅というものは小さなころから接してはいた。中学時代から、12月の臘八接心の時にはまねごとはした。高校に入り、頼岳寺に行くようになり三沢先生に出会い、本気で座禅をするようになった。私の場合であるが、座禅をすると頭の中は煮えたぎるように、意識が通り過ぎてゆく。何かに捉われないようにするのが座禅であるのだが、むしろ頭の中の猛烈な思考が解放されたように、流れて行く。この流れを流したまま置くことに慣れた。無念無想というような高い領域には程遠い。ただ、湧きあがる想念に捉われないで、そのままにしているということに慣れた。
その頃から陸上競技をやるようになり、とことん走った。走れる限り走っていた。だからお前は座禅も、走るのも同じだと思っているのだろうと言われた。全くその通りで、むしろ走る方が分かりやすかった。座禅というものは今でも分からないが、走ることも含めて意識を流して置く習慣が少し出来た。いつのまにか、どこでも、何時でも短時間でも、寝れるようになった。今は長寿世界一を目指している位だから、それなりに睡眠について研究をしているつもり。といっても勝手にやっている事で、参考にはならないだろう。8時間寝るというのは、健康に悪くないと思う。楽なな健康法である。もう25年実践している。寝るなどというのは一番簡単なことでありながら、案外に難しい技術が必要である。不眠症という病気まである。座禅をするようになって、獲得した。意識を集中する。あるいは、意識のままに流される方法。どこかに拘泥して止まらないことが、寝ている時の意識と似ているのだろう。その状態を意識的に作り出す技術が睡眠術である。
春眠の春は中国の話だから、春節の頃ということになる。まだ夜明けは遅いころの話だ。朝明けるのが遅いのでうとうとしていたら、いつの間にか夜が明けていた。自然のままの暮らしということだろう。私は4時前には起きる。この早起きする為には、眠りに入る時間が重要。このわずかに明るくなる時刻が、座禅をする時とされている。障子の桟が座っている内に、わずかに見えて来る、あるいは夕暮れの見えなくなるころがいいという。季節にって眠る時間は長くなる。命が目覚めて来る時刻。そして休止に入ろうとするとき。この時刻の変化を体感することは大切。眠くて起きれないときは、自分という人間が一番弱い時である。この心の弱い時にこそ、乗り越えられる強さを獲得する、じこ鍛錬の場。朝起きれないようでは何も始まらない。そう思って中学生の頃寝られないでも起きる努力をした。
4時前に起きるには8時に寝ることである。8時に寝るには世間のかかわりから少し無理が生じる。週2回以上はこの習慣を破らない。寝れようが寝れまいが8時に床に就く。そして、4時に起きる。どんなに眠かろうが起きる。あくまで習慣にしてしまうまで継続する。どれほど不眠症の人でも出来るのは4時に起きることである。まずここから始める。夕方は5時以降は食事をしない。3時以降はカフェインのあるものは一切採らない。昼間は必ず陽に当たり、軽い運動をする。寝る前に風呂で半身浴をして、汗をかく。寝ながらどうでもいい本を読む、眠れる音楽を聞く、つまらない将棋の秒読みなどのテレビを見る。寝る前の習慣を決め置き繰り返し行う。寝れなくても8時に布団に入り、朝4時まで眠れないでも良いので、布団の中で目をつぶっている。簡単なようで、難しい。私の場合は、これを繰り返し習慣化してしまうと、何とか眠れるようになった。