香港フラワー
香港フラワーというものがあった。プラステックで出来た、安っぽい造花のことである。香港から輸出されたと言われている。中国と言えば模造品天国である。関税局によると、知的財産を侵害しているとして昨年1年間で輸入を差し止めた件数は、2万3280件。中国が91.2%を占めた。 伊万里焼、コシヒカリ、マイケルジョーダンまで商標登録してしまう。ミッキーマウスのようなものが、登場する遊園地が現われて、アメリカがいきり立っていた。知的財産権の侵害。この概念が中国にはない。安直に儲けようと言うだけではないと思う。。アメリカの言い分としては、中国も経済大国になったのだから、世界の経済ルールに従ってもらわなくてはならない。という事がある。しかし、香港フラワーはひたすら、花の模造品である。しかし自然は心が広い、どう真似ても権利などと騒がない。良いものがまねられるのは、当然と言えば当然である。これが資本主義の商業ルールにまずいという事だけである。
ブランドというのは、信頼性だと思う。信頼を作り出すために、大きな投資をしている。それに便乗して、利益をかすめ取り、ブランドの信頼を崩している。誰かが玄米卵を名乗って、売っていた事があった。それはそれである。玄米卵を独占して、大いにもうけようなどとは思わない。玄米を使う、飼料米養鶏が広がったことは嬉しいことである。笹鶏も作出した鶏である。ある時笹鶏肉と言う名前で、ナチュラルハウスで販売されていた鶏肉があった。どうということは無い。驚いたが別段構わない。何も不都合はない。自分が良い仕事を精一杯やれれば、それでもう十分である。わたしの絵が、何かに使われていることがあっても全く構わない。そっくりに描いて販売していてもいい。中国ではモナリザが良く売れるなどという、偽造絵画村があるらしい。それも良いと思う。絵を描くと言うことは、生き方である。だいたいの絵が、人まねをしているか、自然を模写している香港絵画に過ぎない。
真似ると言うことが学ぶということで、真似ると言う事が悪い訳ではない。何万も真似があり、その中から、今までにないものが、わずかに登場する。これが芸術の世界だろう。新たなものを創造すると言うことは、普通は出来ない。話はそれているが、ブランド品というのは、つまり、ブランドの創始者が創造したものを、模造しているものだ。誰がまねようが同じでないか。という感覚が中国にはある気がする。自然を真似ると言う感覚と、商品を真似ると言う感覚がそうはなれていない。問題は、中国製品のすべてが、香港フラワーと思われている事だ。アメリカが抗議をしないでも、中国自体が、取り締まりを強化するに違いない。日本ブランドだって、安かろう、悪かろう。から始まった。韓国はすでに、安くて高品質ブランドを獲得し始めている。中国が何時までも、何が得かに気づかない姿の方が、不思議である。中国という巨大で古い国の体質がある。
すぐれたソフトは、いくら海賊版が出てこようが、登場してくる。儲けいたという事だけが人間の動機ではない。携帯電話用では、アプリとかいうらしいが、勝手に作る趣味が広がっているらしい。ネットは商業主義を勝手に越えようとしている。知的財産権などというものと違う世界で、ネット社会は動き始めている。最澄が空海に、中国から持ち帰った経典を読ませて欲しいと、何度も依頼しているそうだ。空海は、読むだけでは密教の本位は伝わらないから直接学びに来て欲しいと言うが、最澄は最後まで直接でなくて、経典で学ぼうとしたらしい。ネットで読めればよかった。ネットが出来て、出版社や報道機関が、対応を迫られている。要するに媒体の奥にあるものの、品質である。良い記事であれば、誰でも読みたい。何のために創作したいのかが、金儲けから次の段階に進もうとしているのかもしれない。ネットの登場で、違う価値観の世界が生まれ始めている事を、考えなくては。