経済破綻は近づいている。

   

半導体大手エルピーダ破綻。半導体は新しい産業のお米だと言われていた。大手企業が合同して作ったエルピーダが倒産した。日本経済の破たんは、そう遠くなくなっている。手も打てないまま、その日が近づいている。経済破綻の最大の要素は、製造業が日本国内では、競争力を失ったからである。日本の政府は、それを延命するために様々な方策を取ろうとしたが、無駄な努力である。日本の経済を輸出型製造業に依存している以上、韓国や中国をはじめとする新興工業国に対抗できるはずもない。企業として生き残ろうとするなら、日本を離れるしかない。その前提で日本の経済を考えない所が、日本経済の破たんを深刻化している主原因である。世界1の製品を作り続けて、成り立つような経済では、そもそもどこかで終わるのである。競争に勝ち抜ける、技術革新を常に開発続けることなど、不可能に決まっている。特に問題なことは、日本人の潜在能力も、徐々に落ち始めている。

今の政府に何か、企業以上の事が出来るとは思えない。まして、自民党に戻ったところで何の期待もない。その他の野党はどうだろうか。今のところ期待できそうにもない。とすると政治は何もできないまま、経済破綻の日を迎えることになる。その覚悟をしなければならない。まず起こることは、国の借金が今の倍にも膨らみ、行き詰まる姿である。あと10年くらいであろうか。そのつもりで、その日に備えると言う以外に出来ることは無い。原発を国民に止められなかったように、国の財政破たんへの道も、国民には止められない。それこそ、原発の危険を訴え続けるだけで何も出来なかったことと同じである。財政破たんを訴えることはできても、何も変えることは出来ないだろう。方法自体は簡単である。財政支出を減らす事である。それはあらゆる面で減らす以外にない。悲惨な理不尽と思われることも増えるだろう。

地域の助け合いが無くなるなか、福祉支出を減らすのだから、無残なことが増える。それでも減らす以外ない。そんなことをすれば、選挙に敗れる。そういう国民なのだ。政府が変わったとしても、状況は変わらない。目先のサービス合戦になる。まだ何度も失敗しなければ、民主主義が育たない。もうそれまで待てない状況。しかし、戦争に突き進んだ時代より国民一人一人の責任が問われている。国民が変われば解決できることなのだ。消費税の増税もこのまま上げれば、一時しのぎで終わる。日本の産業の構造を、輸出型の製造業からの転換を目指さなければだめだ。賃金に依存した産業では、安い賃金の国に勝てない。特別なことではない。工業的技術というものの性格は、特定の国が独占し、長く優位を保てるようなものではなくなっている。それは悪いことでもない。世界全体が良くなることの方がいいはずである。それでも韓国の優位も、中国の台頭だってそう続くものではない。

日本人が失ったものは、沢山ある。粘り強く働くこと。細やかに感じる感性。改善を工夫する力。その多くが稲作とつながっている。日本人の特性を生み出したのは日本の自然の中で、溶け込むように暮らして来た、生活からである。四季の中で作物を育てながら培った、日本人の感性。もう一度振り返って、暮らしの原点に戻る国づくりをすべきである。その中で人間の感性が育つような暮らしをすることである。そうすれば、日本人が個性を発揮して、世界での位置を確保できるはずである。人間の幸せな暮らしのあり方は、競争を越えた所にあるはずだ。誰かにまさるから幸せなのでなく、自分らしく生きることが出来るから、幸せだということに気づくべきだ。そう思えば、日本の経済破綻は不幸なことだけでない。軟着陸が出来る。もがいて、敗れる競争に目を奪われたままであれば、悲惨な墜落が待つだけだろう。

 - Peace Cafe