汚染されたお茶畑の対応
農水省からの指示が出ている。出荷停止に成った地域のお茶は、6月中旬までに、強剪定をする。深く刈り込む。刈り取った葉や枝はその場所に置いておいてかまわない。と言うことらしい。強剪定を7月に入って行うと、茶の木が弱るらしい。何としても、6月26日に急遽作業することになった。忙しい最中、まことに困ったことである。困ったとしてもやらなくてはならないことはある。この作業は優先順位が高い。と言っても全く無意味な作業だから、つらい作業である。刈り取った枝葉が畝間にあるということは、又土に戻り、根から葉に戻るということだろう。このことを技術センターの方に伺った。もちろん出した方が良いが、出す場所もないだろうし、その手間も農家にはない。とすると、畑で回るだけだろうとお尋ねすると、根の吸収するものは少ないとのこと。お茶畑の土壌の放射能も調べてあるようだ。この程度なら荒茶は500ベクレル以下に成るということが確実なことだそうだ。
それで済むとは、農の会ではとても言えない。有機農産物では500ベクレルを下回ったからといって、販売は出来ないだろう。限りなく0に近付かない限り、受け入れられるとは思えない。農の会では、刈り取った枝葉を畝間から持ち出し、お茶の根が届かない。一か所に埋め込みたい。埋め込んでどうなるものでもないが、セシュウムはの134の方は、2年で半分に成る。100年後には解決するだろう。他に方法がない。他の畑でも同様なことだ。移住できる人は移住する方が良い。それは海外であれ、沖縄であれ、福島から離れた方が良いに決まっている。そのことは誰も批判できない。農業者は農地ごとの移住は出来ない。移住出来ない人は、仕方がないので汚染されている土地であっても、知恵を出し合い。より増しな方向を目指してゆくほかない。いずれにしろ、できる限り速やかに現状を明らかにして、身の振り方を決めたら、諦めを付けて、前に進むしかない。どうにもならないことをくよくよ悩んでいてもどうにもならない。
煙草の煙に弱い。呼吸器系が子供のころからとても弱い体質である。わずかに吸っても咳き込んでしまう。その後2,3日体調が悪い。それが耐え難いために、どうにも自治会の集まりに出にくい。自治会の集まりで禁煙をお願いする勇気はない。そこで申し訳ないが、出ない方を選択している。行政には禁煙の条例が出来た時、自治会の集まりはどうなるのか。禁煙を自治会に通達すべきでないか。こういう要望は出したが、効果がないのか、無視されたようだ。人間は体質によって、まるで違う。放射能に弱い人もいるだろう。植物の遺伝子操作に放射線を使う手法でも、反応は植物によってまるで違う。一律でないから、反応の強いと考える人は自己防御するしかない。他の人と違うからといえ、それが正しい判断で誰も責めることは出来ない。このことは化学物質過敏症の人の社会の反応とも似ている。どれほど過敏に放射能を考える人が居ても、それは当然のことでわずかでも責めてはいけない。同じく被害者である。
お茶畑に対して、どう行動するか。このことは各自が生き方を問われているのだと思う。お借りしている農地を返して終わりにするということは、簡単ではあるが、そのした生き方である。その土地から離れることのできない、農業者からは受け入れられない、対応ということになる。農の会が考える最善の努力を行い、その上で来年に成って判断をすると言うことではないだろうか。最善の努力をしても、100ベクレルのセシュウムが残ったとする。わたしはそのお茶は飲みたい。何んの努力をせず100ベクレルのセシュウムなら、そのお茶は飲みたくない。放射能の値は、昨日飯館に行かれた報告では、飯館村役場の電光掲示板は小田原の100倍の値だそうだ。飯館の発がんの危険性が、1万分の一だとすれば、小田原の発がんの危険性は、100万分の一に成る。それは、違いはあるのだが、違いはない。このことにどう対応するのかは、その人の思想哲学の問題であるようだ。