原発設計は想定が悪かった。
原発設計は想定が悪かった。政府の原子力安全委員会の班目春樹委員長の22日の参院予算委員会における、東日本巨大地震による東京電力福島第一原子力発電所の事故に関しての発言である。読売新聞によると、班目氏は2007年2月の中部電力浜岡原発運転差し止め訴訟の静岡地裁での証人尋問で、非常用発電機や制御棒など重要機器が複数同時に機能喪失することまで想定していない理由を問われ、「割り切った考え。すべてを考慮すると設計ができなくなる」と述べていた。福島氏はこの証言を取り上げ、「割り切った結果が今回の事故につながった」として謝罪を求めた。班目氏は「割り切り方が正しくなかったということも十分反省している。原子力安全委員会は原子力安全、規制行政に意見を言う所だが、抜本的な見直しがなされなければならないと感じている」と語った。国は放射能拡散予測のシステムを持っているが、その生データーが出ると誤解を呼ぶとして、公表していない。
政府の原子力安全委員会が、安全の為でなく、原発推進のための組織であったことが明確になった。原子力安全委員会は国単位のものではだめだ。各国が国益を重視して、安全をないがしろにしている可能性がある。IAEAのような組織の中に、中立公正な安全委員会を設け、世界中の原発を徹底監視しなければならない。現在ではアメリカの原子力安全委員化は機能しているらしい。IAEAの元報道官の方によると、日本に原発の危険性に対し、1996年の段階から問題点を厳しく指摘したそうだ。所が全く東電は取り合わなかったそうだ。同じく2006年に国会で共産党議員もこの問題を取り上げたが、なにも改善されなかった。誰も気づいていなかった訳ではない。この自然災害を想定し、対応が不十分であることは、アメリカの専門家からも指摘されていたのだ。アメリカ政府の対応が最初から不信感を伴って居るのは、この背景があるからだろう。
日本政府の安全に対する考えは、あくまで格安のエネルギーとしての原子力発電である。テレビコマーシャルでもそのようなものがあった気がする。原子力は廃棄物の処理保存費用、原子炉そのものの廃棄費用。そしていったん事故が起きた時の国土の再生の費用。すべてに極めて割高なエネルギーだ。日本の年金と一緒で、将来のことを全く無視して進められてきたものなのだ。行き詰まって困るのは、次の世代の人たちだ。我々世代はその恩恵を謳歌した。その後始末を次世代にすべて残してゆこうとしている。日本の経済優先の思想はまさにその日暮らしだ。確かに、安全を軽視し、後始末をないがしろにして、じこがおきたらごまかしてしまう。これなら原発は安いエネルギーを生み出す。例えば、30キロ圏内の土地が使えなくなって、東京電力がすべてを買い上げるとしたら、どのくらいの費用がかかるか。こうしたもろもろすべてが電気代に上乗せされることになる。間違った道を歩んでしまった。
せめて、まだ戻れる。浜岡原発は想定の上でも、福島より危険度の高い施設である。テレビ報道では早速にも、浜岡原発が津波にもどれほど安全な施設であるか、まやかしの提灯記事を流した。報道は批判精神をほとんど失っている。「直ちに人体に影響はないので、安心して下さい。」戦時中の大本営発表と何も変わらない。灰色一色ではないか。すべての色があり、判断するのは当事者たる受けてである。安全基準を作るということは、それ以上は人体にいずれ影響があるからである。「将来人体に影響がある恐れがあるので、注意してください。」これが正確な報道が伝える表現であろう。屋内待機の30キロ圏内の避難所では、チェルノブイリ基金の医師の方によると、お年寄りが大半だそうだ。普通の判断である。細胞分裂の活発な子供たちんが、身体の小さな子供たちが、影響が強いと考えるだろう。リスクを報道せず、パニックを起こさないという発想は、間違っている。