戸別所得補償実施へ
戸別所得補償制度が前倒しで、実施される事になったようだ。内容が理解できない。理解できないという事もありそうだが、細かな説明がそもそもない。その範囲で理解した部分をまとめてみる。先ず補償対象となるのは、「水稲共済」の加入者約180万戸。未加入者が補償対象になるには、前年度の販売実績を証明する書類の提出が必要となる。 共済には入れてもらっていない。以前、加入の話を聞いたが、有機農業ではどのような被害が起こるのか、想定が出来ないので止めましょうと言う事になった。無駄な出費だと思っていたし、その話に従った。自給農は販売しない。もう一つの条件が生産調整に協力した農家。生産調整などおかしなことだと考えているので、当然協力していない。現実には、田んぼであった場所を借りて、大豆、タマネギ畑にしている農地もあるので、生産調整、田んぼの転作をしている結果には成っているが。正式なものではない。
どんな補償が行われるのか。過去数年分の平均販売価格と、生産コストの差額を定額で支払う。そもそもこの過去の販売価格が低すぎて、こんな価格で稲作が続けられるのだろうか。こう感じるている。問題は生産コストをどう見るかである。農業には様々な手法がある。多分ここで言う生産コストは、基盤整備された大規模農家の、近代的農法であろう。技術レベルで、コストは大きく変わるのが農業。足柄平野には同等のコストと考えられるような、農地は存在しないのだろう。水路網の維持すら、困難に成り始めている。その維持経費はうなぎ上りである。小さく細分化された圃場。軽トラが入れない圃場も存在する。谷戸田で水漏れがひどい田んぼも、手をかけて作っている。多分、中山間地だけでなく、小田原同様の田んぼが全国に広がっているはずだ。確かに生産コストはかかり、効率の悪い田んぼだ。この効率の悪い田んぼこそ、その地域の環境調整に大きな役割を担っている。
水田を食糧の生産の場としてだけ見る手法は、工業製品と同列に農産物を見る見方の一つである。生産性を上げようにも、あげられない圃場もある。あげられない圃場だから止めろという訳にはいかない。コストだけではない、地域を維持する複合的な要素に基づき、田んぼは耕作が続いている。販売農家と言っても、これまた表面に出ない、縁故米とその周辺というものが大量にある。東京に出ている娘さんの家族にお米を送る。送りたいから、田んぼを続けているともいえる。お米は国家の主要な生産品でありながら、暮らしの思いまで含んでいる。ご先祖様から預った田んぼだから、止めるわけには行かない。秋の赤とんぼが好きだから田んぼを続ける。こんな情感的に田んぼを続ける人も多数存在する。農家の気持ちと戸別補償は、すれ違うであろう。少なくとも、私たちとは何の関係もない戸別補償のようだ。
水田を守ることには成りそうもない。水田を守るためにはやはり、経済と全く離れた、論理構成をしなくてはならない。民主党の農政も、やはり自民党の場当たり農政とたいした違いはない。戸別補償の制度には期待はした。期待はしたが、残念ながら日本の農業はこのまま衰退する。農業を他の産業と同列に考えている間は、農業の展望はない。「自給農の思想の確立。」自給のための田んぼ。デズニーランドに行く代わりに行う、自給。消費を中心に回る経済でなく、自分の生きるための生産の側から考える思想の確立。よりよく生きるための自給。人間が経済の労働という駒でなく、暮らしを深める、充分に生きる。そのための自給農。自給することにより、その根底に繋がる実感を醸成する。本来であるなら、この暮らしの基盤を作り上げる事が、農政の目標である。戸別補償にも、経済だけでない視点がはいらなければならない。総合的な視点を持ったものでなければ、革命的変革の意味がない。