公明党の動きを注視

   

公明党の動向を今、よく見ておく必要がある。今回の衆議院選挙で、党幹部が落選し、山口那津男氏を党首として新体制を組むことになった。自民党との連立を模索した公明党。この10年間の日本の政治風土の悪化は際立っている。政治思想のことなる政党が与党として連立する。問題点が次々起きた。今回の自民党の崩壊的選挙敗退も、公明党と連立した所に、原因している。何故、公明党は与党であろうとしたか。よく言われるのが、創価学会問題である。宗教組織を基盤とする政党。宗教は与党政権の保護を望む。これは、創価学会に限らず、多くの宗教が模索する所である。例えば、曹洞宗でも保護をしてくれた、天皇家の菩提を毎朝の勤行の中で行う。宗教組織は、特に新興勢力としての宗教組織は時の政府の弾圧に遭うのが歴史の常である。一向宗、キリシタン弾圧。明治政府のの廃仏毀釈。第2次世界大戦に於ける、大政翼賛会への統合。

カンボジアPKO派遣。イラク派兵。平和の党を自認していた、公明党が自民党に擦り寄った結果である。こうして両党が堕落して行き、今回の選挙敗北に到る。これほど、思想の違う政党が、両者の選挙における都合において、野合的な連立を行ってきた。何故、従来の公明党支持者が、イラク派兵において神崎代表のイラク訪問による、安全性の確認などという茶番劇まで行い、派兵を容認したのか。創価学会組織の保全と考えざる得ない。この間、公明党の強固と言われた、組織はいくら宗教的結束があるとは言え、矛盾をかかえたまま、弱体化してきているはずだ。公明党支持者と話してみると、与党ボケしてきていた。自民党の政策の全てを、自らの考えとして擁護しなければならない。いつの間にか、公明党の思想という大切なものを失ってしまった。与党であるが為に存在する、様々な余得が、甘い汁が、批判精神を失わせ、考えることすらしない政党になった。

公明党は自民党との連立の意味を今失った。当然、金の切れ目が縁の切れ目ではないが、与党でない自民党にはなんの未練もないはずである。節操ない、与党にへばりつく手法を模索する。さすがに、社民党や、国民新党を押しのけても、民主党との連立模索はしたかっただろうが、出来なかった。しかし、社民党がもし日米の軍事的関係に強い主張を行い、民主党との間で亀裂が生じれば、国民新党が郵政民営化で亀裂が生じれば、明日にも取って代わるつもりであろう。こう言う政党が存在する事自体。日本の政治の不運である。自分の考えのない政党。自分の保身だけを考えている政党。石井一氏は以前、池田大作氏の国会喚問まで、国会の質問で主張したことがある。民主党が与党になり、こうした問題はどう展開するのだろう。

創価学会の善悪ではない。どの宗教団体も政治とは距離を置くべきだ。直接、政治に乗り出すようなことは、民主主義が育つ上で弊害になる。宗教は絶対の帰依の世界である。それでなければ、宗教的世界の深まりはない。私自身、曹洞宗の僧侶であるから、その点の自覚はある。良い、師につかなければとても危険な世界である。師を求めて行脚する。私は三沢老師、山本老師に出会う事ができ幸せであった。とてもリスクのある世界だと思う。リスクを負わなければ到達できない世界が宗教の世界だと思う。この機会に創価学会と、公明党は完全に分離すべきだ。創価学会からの一切の影響を受けないような形を打ち出すべきだ。公明党党首が、池田大作氏批判が出来るような政党になるべきだ。どれほど宗教上尊敬できる人物であれ、政治的な意味は別である。そう言う事が出来る政党に生まれ変われないなら、解党すべきだ。それが日本の政治を、民主的にする大切な要素だとおもう。

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