水彩画美術館の夢
水彩画美術館を作りたい。いい水彩画を集めて、常設展示したい。水彩画の良さを広く、深く伝えたい。他の、日本画や、油彩画とは違った、独特の魅力がある材料だ。しかし、世界の美術史的にも副次的な材料としてしか扱われていない。水彩材料は独特の物で、他の方法では表現できない世界がある。
描画材料の変遷は美術の目的を密接に反映している。ヨーロッパ古代ポンペイの壁画、エジプトの壁画はフレスコ画。壁を作りながら、描画してゆく物で、目的の部屋の装飾として描く物だ。教会壁画ではモザイク、ステンドグラス。崇高さ、耀き。ルネッサンスにいたり、油絵の登場。説得力の必要性が高まり、人間が理屈っぽくなってかな。細密描写の必要が高まる。写真的リアリズムの登場。これには油彩画が適合する。このまま現代まで、材料としては変化なし。現代は商品絵画の時代。投資価値としては油彩画は向いている。
水彩画が登場するのは、すでにエジプトで使われているが、絵画の主流になることは無い。水彩画の材料は顔料を、より細かくするところが特徴だ。そしてアラビアゴムを用材として溶かし込み、絵の具とする。これは東洋の方法では、膠となる。しかし、顔料ははるかに荒い。
紙、あるいは布にえがく。これも特徴で、良い紙が出来ることが、水彩表現の幅を広げることになる。良い絹の布も同様である。その点アジアでは、紙が早くからいい物ができたので、水彩画といえる絵画が広がる。例えば、水墨画は水彩画をモノトーンで行う物だ。顔料は摺ることによって、大変細かく、細かくすることで、単色での表現の幅を広げたのだ。その意味で、中国画は手法としては水彩画といえる。日本画は、顔料をそこまで自由に扱うところまで行かなかった。
中国唐初期の絵画には、すでに水彩的細密表現がある。宗、元にも幅広い表現があり、水彩技法が完成していたことが分かる。これは絵の具の顔料を細かくする方法が、完成していないと出来ない事だ。色炭が中国では各色あるように、大変細かい顔料の絵の具が、古くから完成していた。
絵画が権力の権威を示す時代、公共の物である時代、そして個人の時代へ移り、今後は描く時代になるのだろう。描くことその行為自体が、意味を持つ時代が来る。そう考えている。描く行為そのものに、存在意義が移るのだと思う。
人が生きる思索として、充実度として、描く行為を大切にする時代への移行。その時代に相応しい手法が、水彩画だと考えている。水彩画は、下描きとして多く描かれてきた。簡便である事が特徴。もう一つ重要な点は、考えていることの、肝心な骨組みを説明抜きに表現することに向いている。だから、日記のように、独白のように描くための材料といえる。
美術館の事だ。水彩の美術館が無い。水彩の技法の幅を知ろうにも資料が無い。もし、セザンヌや、ターナーや、クレーの水彩画がいつでも見られたら、どれくらい参考になるだろうか。印刷では中々、どのような紙に、どう描いたのかは分からない。日本の物だっていいものはある。それを少しづつ集めて、展示できるスペースを作るのは、夢だ。