色彩について
子供の頃聞かれた事に、「何色が好きなの」こういうのがあった。そのつど、真剣に考え込んで、青と応えた事が多かった。緑という時もあった。本当は好きな色など無かったのだけど。何か返事をしないといけないような気がした。
どの色が好き。これは実は大問題だ。根本的なこと過ぎて、抽象的で、今でも手に負えるようなものではない。難しい事じゃない、感性の問題だ。こう言いたいのだろうけど、誰もが、何でも安易に考えているとは限らない。
これが、小学校3年生ぐらいになったら、何色といえば、問題が少ないかの方に、気持ちが行った。好感がもたれるかの方に、意識が行っていた。この場合。「青」だった。必ず、青の好きな子はああだ、こうだ、と占いのような事を言う、者がいたからだ。青が当時無難だったのだ。今ならなんと言えば無難なんだろう。人の好みはこうして、外からの枠に応えるように作られていくのかもしれない。
今でも好きな色など無い。単色で、例えばピカソの青の時代のように、一色で絵を描く人がいる。墨絵のように、黒一色の濃淡だけという絵もある。それはそれでありなんだろうけど、私の描く意味とはあまりに違う事になる。私が行っている、絵画する作業に、色の関係は抜き差しなら無い状態で絡んでいる。色は端的にいえば、組み合わせだ。単色がどうのこうので無く、あの色とこの色が、隣り合い、そこにもう一つの色が出会い。一つの内容を表現する。たとえ墨一色で描くとすれば、それは黒という色彩の絵である。墨絵に無限の色彩を感じるとか言うが。私には信じがたい事で。目が悪いんじゃないの。としか思わない。
絵画をそうした思い込みの強い、意味ありげな作業にしたがる人が多いいのは、情け無いことだと思う。事実を事実として、受け入れるところが原点だ。黒は黒なのだ。それで何を表現するかを正面から考えるべきだ。
色について、もう一つの意味は大きさのことだ、1c㎡の赤より、1㎡の赤の方が赤い。これはすごい見識だと思う。だから、好きな色といえば、5c㎡青かもしれないし。5㎡の青かもしれない。さらに言えば、そこに緑の点が入っているのが、一番好きな色なのかもしれない。だから、マチスの赤が好きだというのは、色では在り得る。ボナールの黄色が好き。これもあるだろう。
絵画の画面においては、一面の黄色の菜の花畑が、緑とのなかの赤として表される事も充分にあるということだ。画面が、たとえ100㎡あったとしても、決して現実の空間の中の色を再現している訳ではないのだから、現実の色に近づくという努力は全く馬鹿げた努力ということになる。沢山落ちている落ち葉の中で、最も落ち葉らしい落ち葉を探した事がある。これが無いのだ。私の思う落ち葉はどこにも落ちていなかった。