日本有機農業研究会
先日、本当に久し振りに、農業仲間のOさんから電話があった。電話の中で、日本有機農業研究会の話が出た。あしがら農の会でも、入会している人が何人かいて、理事の人も複数いるので、かかわりは深いと言えるかもしれない。やはり日本の有機農業のことを考えた時、有機農研のことを抜きに考える訳にはいかない。
政府の諮問委員会などにもこの会から、有機農業関係の代表のような意味で、人が出ている。それだけの見識を持ってもらわなくてはならないのは、当然の事だろう。
私も10年位はこの会に入っていた。その頃は、少しは会の活動にも出さしていただいた。入会したのは、高校生の頃から、共に歩んできたといっても言い、織座園の窪川眞が前から入っていて、誘われたからだ。彼は突然、死んでしまった。彼が死んだ事もあって、この会に自分を引き止めるものが無くなったとも言える。
この会で驚いた事はいくつかあったが、最初の驚きは、種苗交換会でのことだ。私は、アシタバと山ウドの種を、50袋づつ用意して参加した。交換と言うのだから、何か持ってゆくものだ、と考えたのだ。所が、これが全く違って、種が適当に置いてあって、それぞれが勝手に持ってゆくという形式だった。封筒には各自が、名前と住所を書くように、ということだったので。一人二人はその後の報告があるかもしれない、と思っていたが、ついに何の音沙汰も無かった。この礼儀の無さに先ず驚いた。普通人から物をもらえば、何らかの反応をしてもいいのだが、どうした訳だか、何も無かった。
次にこの種苗交換の会が、登録制と言うのを提案したので、早速登録し、私の作出した「笹鶏」を種苗登録した。この件でも、ついになんの、音沙汰も無かった。しかし、自家繁殖を続ける事は、日本の有機農業にとって、大切な事だと考えていたので、登録について、問い合わせと、鶏を保存してゆく意味を力説した物を、書き送ったが、さらに返答が無かった。多分、誰一人こうした努力をしている人がいない会なので、反応の仕様が無かったのだろう。
その頃から、この会がどんな仕組みで動いているのか、全く見えなくなった。活動に対し、どこの誰が責任を持って動いているのかが見えないのだ。
多分種苗登録を頑張って立ち上げた個人には、問い合わせや、その枠を超えた内容には対応は出来ないし、理解も出来なかったのだろう。そう考えた私はさらに、会員として、理事会宛にその旨を出した。しかし、これにも何の返答が無かった。不思議には思ったが、何となくこの会の実態のような物を感じ始めた。
その後有機畜産の基準つくりを、農水省が進めた。これに併せて、アンケートが会から送られてきた。このやり方には、期待が持てると考えて、アンケートには日頃考えている、有機基準について、意見を書いて送った。
私には、有機畜産基準については、この会の中では一番学んできたし、有機基準に一番近い形で、実践もしてきた者、と言う自負もあった。有機農業研究会においては、有機基準に適合した、養鶏を行っている人は一人もいない事もよく知っていた。
所が、ある日突然、有機農業研究会から、農水省に要望書が出されたと言う事が分かって、驚いた。
その内容が、農水省の言う放し飼いの義務づけが、厳しすぎるから、小屋飼いでも有機基準として認めて欲しいという、実に情け無いものだ。今でも、放し飼いと小屋飼いでは違いが無い、こんな認識ですから、放し飼いをしたことの無い人のレベルの会と考えるしかないのだろう。
会員に対し、こうしたものを出す了解も、意見の聴取も無く。会の名前で要望書が出されてしまう。この会に所属する以上、私も同じ見解を持っていると、世間には見られるわけです。一体この会における民主主義はどこにあるのか。このことではさすがに、腹が立ち、抗議書を送った。このことを書いた、理事個人や、理事会宛に送った。いつものように、何の返答も無かった。
さらに、会計担当者には、会費の請求が来たので、こうした不当な運営が行われる中で、会費だけ徴集しようとするのは、おかしいのでは無いかと、意見を聞かせてもらいたいとの、意見が無いなら、退会する。こう書き送ったが、その後も会費を払い込めの督促は来るが、この件には何の見解も示されない。
こうしてこの会を退会せざるえない事になりました。色々の会に入りましたが、これほど民主主義からかけ離れた会も他には知りません。しかし、この会が良くならなければ、日本の有機農業は不幸なことになります。若い人達で、根本からやり直すよう、期待します。