水彩絵の具や紙のこと

画材は自由に何でも買うことにしてきた。どれほど高い画材であっても、ためらわずに買いたいだけ買うことにしてきた。紙は手漉きのインドの紙や、アルシュやファブリアーノの手漉きの紙。絵の具ならシュミンケやセヌリエを使っていた。良さそうだと言うことだけで、本当のところは分かっていなかったかもしれない。舶来信仰なのだろう。
所が、何を使っても大した変わりがないということに、最近成ってきた。円安で、海外のものを買うことが気分が悪い、と言うことがあり、使えれば何でも使うことにした。それで色が良くないとか、塗り心地が悪い、発色が悪い紙だとか言うことがない。
先入観を捨てることが出来た。絵の具も紙も、どうも大した違いはないと言うことに今は成っている。絵の具もいろいろ買ってきたら、メーカーによって色味は違うと言うことは分かった。それで一番一般的なホルベインで描くことにした。
紙も、何にでも書いてみた、案外模造紙や、コピー紙など面白かったりした。沢山持っていた、和紙も使ってみた。これも悪くはないと思えた。しかし、保存を考えるとやはり水彩紙が良いのだろうと言うことで、アルシュの中判全紙ということにした。フランスの紙だが、いつでも日本で買える。
画材が世界各国のものが、共通化した原因は世界中での絵の具の材料が工業化されて均一化された、と言うことがあるかも知れない。特に顔料の生産を大企業が担うようになり、絵の具屋が購入する顔料に大きな違いがなくなったらしい。
絵の具も手練りなどと言う所は限られている。また意味があるとも思えない。機械で作るから均一化されたのだろう。岩石から直接絵の具を作るような特殊な絵の具屋さんは別なのだろうが。いろいろの会社が、中国で生産している。中国で作られているはずがないと言う舶来信仰はまだ残っているので情報は公開されていない。
各社中国製造を公にしないでいる。私は集めた情報から、中国製造だと決めている。中国のネット通販でニュートンの絵の具を購入してみたが、格安だがニュートンの絵の具そのものだった。並行輸入品ではないかとも思われるが、工場流出品ではないかと言う気もした。
中国製の水彩絵の具というものもある。40年前に中国に行ったときにはなかった。油彩絵の具はあったのだが、ひどい粗悪品であった。蓋が開かなくなるので、お尻から絵の具を出していた。絵の具はすべて色がひどいものだった。それが今では、世界レベルになったらしい。今度中国製水彩絵の具を購入してみたい。
塗料の原料となる大企業の顔料が安定はしているのだろう。どこの絵の具屋さんも、顔料は企業から購入している時代になった。岩石から直接絵の具を作る会社はいわゆる一般的な絵の具屋さんにはない。その塗料の顔料製造が、中国生産と言うことが多いらしい。精製に伴う汚染物質の廃棄が中国以外では難しい。つまりレア-メタルと同じことである。
和紙もいろいろ試してみたが、和紙の良さも確かにある。染み込み方が違う。水墨画ではないが、にじみの調子が良いと言うことがある。それに従い手が、腕が、自然に描いている。余り考えないでも、その状況に応じて絵は進む。どんな紙でもそれなりに描けるが、保存性の悪い紙はダメだ。
それで最近落ち着いたところが、紙はアルシュの中判全紙の300g。絵の具はホルベインである。一般的でいつでもどこでも買える。それで特に問題がない。細かいことを言えば違うのだろうが、そんな違いは絵とは関係がない。と言う気持ちになった。
残っていたのは舶来信仰の気持ちの問題だけだった。今でも時にファブリアーノの700gや特殊な和紙を使うが、絵は違う絵になるのだが、その絵の変わり方が気にならなくなった。描いた絵が良いとか悪いとか、気にしないことになった。おかしなことなのだが、どんな絵も自分が精一杯描いた絵だ。
良くないとしてもそれはそのときに、限界まで描いた絵であれば、それで良いような気がしている。どちらかと言えば、行き詰まり描けない絵の方が学ぶところが多いような気がする。描けないと言うことには、ぐんぐん描けるときよりも重要な行き詰まりなのだと思う。
それでもさすがに、ぺんてるの学童用絵の具は使ったことはない。それで描いたとしても絵は大して変わらないのかもしれないが、想像では変色の不安や色のさえが気がかりである。と言いながらも同じかも知れないとも思う。50年前、田賀亮三さんは、絵の具など何でも同じだと言われていた。
絵の具のことで言えば、乾いて行くことで描いたときとは変化をして行く。この変化の度合いがどうも重要だ。同じ白い絵の具でも、会社によって、違う乾き方をする。描いたときの濡れ色と乾いて行くときの変化こそ水彩画の醍醐味なのだ。
重色して行く際に、常に色によって変化がある。当然だが、赤の上に青を塗ることと、青の上に赤を塗るのは違う。つまり重色の調子がまるで色によって異なる。それが同じ青でも違ってくるという問題がある。だからどこの会社の絵の具でも良いが、同じ会社のものでないと予想外のことが起こることになる。
それは紙の違いでも起ることだ。ファブリアーノとアルシュでは重色したときに違いが起る。この違いはもう身についているから、紙の違いは5種類ぐらいは無意識に反応が出来る。和紙でも大丈夫だ。所が絵の具の組み合わせは何百通りぐらいの違いがある。
普段使っている絵の具の塗り方は、たぶん4,5百通りはあるのだろう。この違いを腕が覚えていてくれないと困る。無意識で使えるようなものになっていなければならない。その意味でどんな絵の具でも良いのだが、ホルベインであればホルベインだけで行くしかない。
セヌリエであれば、セヌリエだけで行くしかない。ぺんてるで行くならぺんてるで行くしかない。たぶんその表現の幅はいくらか異なるのだろうが、それほどは大きくないという気がしている。それでホルベインで大丈夫だというのが最近の感想。
最近は紙はアルシュの中判全紙で大丈夫という感じ。いつも送って貰っている額縁画材ドットコムというところで、ファブリアーノが切れていると言うこともある。月々20枚くらい購入しているかと思う。これでは日々の一枚には足りないが、仕方がない。
絵の具は年に一回位まとめて購入する。使いたい絵の具がないというのが,一番こまる。画材は石垣島では購入できない。年一度くらい通販の特売があるのでそのときに買うことが多い。絵の具はやたらたまっているが、そうでないと安心ができない。
最近の描き方で言うと、色を混ぜてから塗ると言うこともないわけではないが、どちらかというと、重ね塗りをして色を出すことが多くなった。その方が手を入れた感じになる。手の入れ方が絵を描くと言うことを表現しているので、筆跡とか、塗り重ね方とかが、絵の表現になる。
3色を重ねて表れて来る複雑さと、3色を混色して塗る単純さとは違う。この違いを腕が覚えていて、使ってくれないと絵は描けない。とうてい頭で考える範囲で描こうとすると、反射的に絵が進むことにはならない。とっさに浮かんでくるものをつかんで表現することが出来ない。
そのためには一定の材料を使い続けた方が良い。絵の部の色の種類もせいぜい15色ぐらいが限界だと思う。15色でもこれを順列組み合わせで使うとすれば、ほぼ無限と言うことになる。出来れば10色ぐらいにしたいところだが、どうしても後5色増えている。
パレットは磁器製である。10色が小さい方。5色が大きい皿。ここで絵の具を溶きながら使う。混色もするのだが、ほとんどは水の濃度の調整に使う。絵の具を生で使うこともあるが、大抵は水で薄める。この薄め方で色味が大きく変わる。
薄く溶いた絵の具を、3回塗り重ねるのと、3倍の濃度の絵の具を一回で塗るのでは、全く違う色になる。こういう複雑化した色への反応が自由に行えるまでにならなければ、水彩画は描けない。だから、日々の一枚であり、頭ではなく、腕で描かなければならない。
考えて居たのではとうてい絵を描く感覚の速度に追いつけない。とっさに反射できるように表現できなければ、水彩画は描けない。それは水墨画と同じだ。水墨画であれば、墨一色であるから、何とかなるが、15色の絵の具の色が加わるから、自由に使いこなせるまでには、相当の熟達が必要になる。
そのことは、永いこと水彩画を毎日描いてきて、76歳の今、始めてそうだったのかと知る技法が表れることでも分かる。たぶん天才はそんなこと始めて描いたときに、分かっているのだろう。しかし、愚鈍な私は最近になりやっと、水彩画を描いているのだという気になっている。
たぶん水彩画の技法は複雑すぎるのだ。そのためにその中の一つのやり方で大抵の水彩画は描かれている。それで素晴しい絵も当然あるのだが、やはり表現の幅が,たいていの場合淡彩画になっている。水彩画の奥の深い、多様すぎると言えるほどの表現を、探求した絵描きはまだいないのだと思う。