4月の小田原生活
4月の小田原は過ごしやすい。一番良い季節だろう。新緑が美しく、川の流れも輝いている。石垣に暮らすようになって、この新緑の季節の日本の柔らかさが、懐かしく深い世界が感じられるようになった。絵にしたいと思っている。
小田原に一週間滞在した。天気にも恵まれて、快適に作業をすることが出来た。今回は溜め池の工事が第一目標だった。溜め池につながる道路が崩壊してきたのだ。溜め池に地下水が流れ込んでいるので、道路の下にいくつもの地下水路がある。
舟原のため池
10年くらいの間に、道路の下が空洞化して、道路が陥没してしまったのだ。これをどう直せば良いかずいぶんもめたのだが、何とか今回直すことが出来た。人に頼まなければならないというのでは、自給の精神に反する。
この工事を請け負って一儲けしたいという人たちが現われて、混乱が起きた。確かにその人たちの提案は、自然の摂理に沿った一つの解決法ではあったのだが、その人たちが利益のために動きすぎている。何しろ下見に来るだけで40万円取るというのだ。
しかも、その工事は里地里山全体の管理の問題に広げる提案だった。確かにそうすべき所だが、一体誰がその労力をになうと言うことだろうか。行政がになうはずがない。地域のそういう労力は日本から失われている。私にやれと言われても到底無理だ。
溜め池の管理さえ地域の人には出来なくなっているのに、里山全体の管理などやる人は一人も居ない。日々手入れが出来るのであれば、確かにわずかな手入れで、里山の自然は維持される。もうそういう人手のかかる方法は通用しない。
溜め池自体の管理も限界に達している。溜め池の管理が出来ないのに、誰が里地里山全体の管理をになえるというのだろうか。昔に戻れと主張しても、中山間地は消滅して行く状況なのだ。その状況の中で、どうすれば良いかを考える必要がある。
溜め池の維持管理をどう言う体制でで行うかを考える必要がある。今まで渡部さんに頼りすぎていた。渡部さんは何でも出来る実力があるから、作業をになってくれていたのだが、振り返って考えてみれば、渡部さんの負担がどう考えても大きすぎた。
今度は渡部さんの力を借りないで、私が出来る範囲でやる体制にしたいと考えている。申し訳なさ過ぎると思う。農の会に溜め池の会を作る。みんなに呼びかけて、新しい仕組みで管理を始めたいと考えている。あくまで私一人でもやれる範囲で遣りたいと考えている。
小田原に行くのも溜め池の管理に行くと言うことにする。他のことは、やらないことにする。今までは欠ノ上田んぼや畑の会の作業を手伝ってきたが、そのとき出来る範囲にして、溜め池の作業をするために小田原に行くことにする。この点の意識を明確にする。
そこまで小田原での関わることを狭めれば、まだ4,5年は溜め池管理が出来ると思う。4,5年経っても溜め池管理をやろうという人が現われなければ、そのときは諦めることにする。もうひと頑張りすることにした。
お茶摘み
4月29日が農の会のお茶摘みだった。申し込んでいなかったので、参加は諦めていた。いつも期日前に申し込みがいっぱいになり、参加できない人もいたのだ。今年は溜め池工事があるので、29日は到底無理だと思っていた。
所が28日で溜め池工事が奇跡的に終わった。溜め池の草刈りまで終わってしまった。急遽、申し込んだところ、ありがたいことに急にキャンセルされた人がいて、参加余地があると言うことになった。去年もでられなかったので、うれしいことになった。
お茶摘みは実に楽しい。無心で摘んでいる感じが心地よい。新緑に溶け込んでひたすら茶葉を摘むと言うことで、こころが洗われて行くきがした。10月26日が均し作業だそうだ。他の作業日もでられたらでたいのだが、今の所は26日だけが可能な日になる。
お茶摘みは3キロ4箱積んだ。12キロで2、5キロぐらい出来るだろうから、12袋ぐらい摘み取ったことになる。12袋あれば、一月1袋楽しむことが出来る。これもまた楽しみである。と言いながら、全部自分で飲むわけではない。
実は今度台湾の阿里山で有機のお茶を栽培されている方を知った。この方を6月に尋ねる予定である。農の会のお茶を持って行き飲んでみてもらい。日本のお茶の感想を聞きたい。台湾のお茶文化は奥が深い。日本のお茶に対してどう言う感想があるか、農の会のお茶を飲んでいただき、ご意見を聞きたいと考えている。
農の会のお茶はなかなかおいしいのだ。このお茶にどう言う印象を持つかだけでも聞いてみたい。そう思うだけでも、阿里山に行く楽しみが増える。日本茶の素朴だが、癒やされる味と、中国茶の濃厚な味わいとの違いに興味がある。
畑の会
農の会には畑の会という組織がある。この時期はタマネギとジャガイモを作っている。自給分のタマネギとジャガイモを作れる。毎年参加させて貰っている。今年は無理かと思ったのだが、何とか植え付けて、草取り土寄せをしてきた。
それなりに成長していた。少し肥料不足の感じだったが、まあ仕方がない。タマネギはうまく作れる方だったのだが、今年は今ひとつであった。ジャガイモは端の方が生育が悪かった。私は畑の端を使ったので、あまり土壌の良くない場所であったようだ。
誰かが端もやらなければならないのだから、それでいいのだが、もう少し肥料を入れる必要があった。大分舟原の畑も土壌は良くなってきたようだが、まだ土壌が出来ていない部分はあるようだ。それにしても小田原の土壌はいい。
畑の会に参加させて貰うのも、いつまでかと思う。溜め池の隣が畑の会の圃場だから、参加させて貰うことは可能かもしれない。大豆の会の圃場も溜め池の隣にある。大豆の会も少しだけでも参加させて貰えるかもしれない。しばらく味噌造りに参加していないが、味噌造りもまたやりたいものだ。
水彩人春期展
水彩人春期展があった。船堀タウンセンターという会場だった。素晴らしい場所だった。ともかく明るくて、水彩画の微妙な色調を見ることが出来た。多くの人に見て貰うことが出来た。上野の東京都美術館以外で行った展覧会としては一番人が多かった。初めて水彩人を見て貰うことが出来た人も多かった。
睡蓮池の絵を2点出させて貰った。私なりに方向を確認することが出来た。絵が変わってきていた。「前よりもいくらか大胆になっていた。」「絵に用心深さがなくなった。」「人目もあまり気にしていない。」「おもしろおかしくなった。」この4つは良い方向だと思えた。
ただ自分らしくなったのかどうかは、分からないことだった。自分というのは難しいものだ。自分になれれば、それが到達点なのだろう。尾ひればかりやっている。回り回っていつか自分になれるのか。難しい物である。
来年も水彩人春期展は船堀タウンセンターでやれることになった。楽しみである。この会場の良いのは明るいことだ。水彩画の微妙な色調を確認できる。これは都美術館では不可能なことだ。都美術館で、重たい絵が増えるのは、暗い性ではないか。
水彩人の仲間と絵を並べることが出来るのは、貴重なことだと思う。この機会に自分の絵を確認できることは、自分の幸運である。正直に絵のことを語れる仲間がいる。これほど絵を描く上で大切なことはない。
今回の小田原行きも得るところが多かった。欠ノ上田んぼの種まきに参加した。これが欠ノ上田んぼでの最後の活動になった。20年も関わった田んぼだが、いつか終わりは来る。30人の種まきを見て、新しい時代が来ている。安心して次に渡せると思った。
篠窪に行き絵を描くことも出来た。新緑の緑の微妙さには驚かされた。小田原に行けば、一度は描きに行きたくなる。季節季節に変化しているのだが、石垣の自然を再確認する意味でも大切な場所になっている。