2拠点生活小田原の農作業

   



 小田原生活が始まり筋肉痛である。14日に石垣島に帰るまでの三週間である。三週間ごとの行ったり来たりである。この暮らしもすこしづつ慣れてきた。なかなか良いものである。気持ちが変わるというところで、暮らしにメリハリが付く。さあやるぞと言う気にどちらに移動してもなるものだ。

 コロナで不要不急の移動を自粛しろという事だ。何かすっきりしない気分はある。生きているという事はそもそも不要不急のようなものだ。生きている一日を意味あることにしようとしている。ワクチンも打ったから少しは安心して小田原でくらせる。と言っても一回だけだと33%と効果は弱いということだ。二回目は石垣島に戻って打つ。まだまだ、いままで通り気をつけたいと思う。

 非常事態宣言下、石垣島を抜け出て小田原に来ていることになる。田んぼや農作業である。農作業の集中する時期を選んで小田原に来ている。前回の小田原暮らしは絵を沢山描いたが、今回は田植えが主目的なので、田んぼが終わらなければ他のことは出来ないだろう。

こちらは以前からの田んぼ。左隅に見えているのが柿木。

 田んぼは現在水が張られている。緊張して田植えを待っている。トンボでずいぶん土を動かし、かなり良い均平がとれている。放棄地を良くここまできれいに田んぼに戻したものだ。土はそれなりに良い。結構とれるのではないかと思っている。

 この田んぼはとても古い形の棚田の形を残している。たぶん江戸時代に作られたときのままの形である。畔が弓なりになっている。土圧水圧から畔を守るための形である。大抵の田んぼは関東大震災の後、直線に直された。ここの田んぼは崩れなかったのかもしれない。

 石垣島での三週間もかなり絵を描いた。この後ブログで日曜展示して行くことになる。今回の石垣島は市民による自給の田んぼの話から始まっている。大勢の人が田んぼをやりたいと言うことになった。そこから田んぼを探して歩いて石垣の農業者にお会いすることが出来た。なかなか見つからないが、石垣島の農業の実体を感じる意味では充実した石垣生活だった。
 人の居る室内には極力行かないのは、石垣島でも小田原でも一緒だ。スーパーに夜の人の少ない時間帯に一度だけ出かけて、三週間分を買ってきた。後は家と田んぼと畑とため池の行き来になる。時間が空けば車で絵を描きに行く。知らない人との接触はできる限り避けている。


こちらは新しい田んぼ。右に見えるのが柿木。その下にあるので柿の下田んぼ。

 2拠点生活はコロナで大分ゆがめられたが、何とかワクチンを打つまでにたどり着いた。PCR検査では陰性だし。不安を抱えながらも行き来が出来る。エライ世の中になったもんだ。コロナの次が無いはずがない。ウイルスとのいたちごっこになったと考えれば、もう昔のような暮らしには戻れないのかもしれない。これが人類の宿命だったのだろう。

 暮らしを変える以外、人間は変わることなど出来ない。自分と思っている自分など、たまたまその環境に作られている自分である。だから、成長しようと思えば、日々の暮らしの方を変える以外方法はない。そのように考えて、あちこち暮らす場所の移動を重ねてきた。

 行きたいところへと移動して暮らしてきた。山梨藤垈に生まれて。東京三軒茶屋。世田谷。太子堂。金沢。フランス。東京。山北。小田原。そして、石垣島。いままで長いところで小田原の15年である。細切れで、二拠点生活もあった。
東さんの、山田錦の5葉期2分けつの苗。

 最終的に小田原と石垣島の2拠点生活になった。予定では小田原では農的生活。石垣では水彩画生活。と思っていたのだが、小田原でも絵を描くし、今度石垣島で田んぼをやることになりそうである。それはそれで成り行きに従うことでもいいのかと思っている。余り決めたことに拘らないで遣りたいようにやれれば、一歩前進になるかもしれない。

 今回小田原で田植えをする田んぼは柿の下田んぼである。柿の畑の下にある田んぼだから、柿の下である。田んぼから柿の木の眺めは実に美しい。柿の木は実に美しい木だ。新緑の黄色の鮮やかさは春先際立っている。葉の色づいた紅葉もすばらしいし、実の付いた姿の良さも格別である。

 柿の下田んぼは美しい柿の木に負けないくらい、美しい田んぼである。古い時代の湾曲した石積みがいい。畑でも田んぼでも美しくなければ、だめだと思っている。庭の畑ほど美しいものはない。ガーデニングと言うが、私には花より団子である。作物ができると言うことが一番魅力がある。

 欠ノ上田んぼから、柿の下まで1町歩ぐらいを農の会でまとめて管理するようになった。考えても居なかったことだが、耕作放棄されていることよりも、田んぼになることの方がすべてに良いと思っている。田んぼとしての管理を続けて行くくためには、専業農家では難しい場所なのだ。

 欠ノ上の久野川に向かった崖下は、農家には不向きかもしれないが、市民が利用させて貰うには絶好の場所である。耕運機しか入れないような場所もあるが、私たちが使うには様々に良い場所である。一つは水を自分たちの都合だけで入れたり出したりが出来る。水管理でよそ様に迷惑をかけない田んぼ。

 だから苗代も作れる。今回石垣島で田んぼを探してみて、そうしたことが改めて分かった。農家が使えるような所は農家に任せておいた方が良い。農家がもう経営的耕作が無理だとなったときに,すぐ市民が取って代われるような体制を作っておくことだろう。

 今回の柿の下田んぼは東さんが中心になり、私をふくめて4人の協力体制である。本当であれば、種まきから10週目の7月4日前後の補肥の時期は私も居た方が良いのだと思うが、申し訳ないが石垣で絵を描いていると思う。と言うか、もしかしたら、石垣の新しい田んぼの苗代の頃になる。

 6月前半のどこかで大麦の収穫。同じくタマネギの収穫。ジャガイモの収穫。そして、出来ればカキツバタの株分け。ため池の草刈り。下の池の水漏れの修理。田んぼのコロガシは一通りやるつもりだ。今回も筋肉痛の充実した農作業になりそうである。

 農作業優先でゆくつもりだが、予定が空けば山梨に絵を描きに行きたいと思っている。これはやってみなければ分からない。仙石原や篠窪も又描きに行きたいものだが、空いた日があればすぐに行ける準備だけはしておきたい。

 小田原に居る間は毎朝の水回りには行かして貰うつもりだ。東さんは6時30分と言われていた。田んぼと言う現場に行かなければ伝えられないことも多い。朝、見回りをしながら、できる限り知っていることは伝えたいと思う。そういうことが出来るのも今年が最後かもしれない。来年も出来れば幸せと言うことだ。

 思いつくことを今上げれば、田んぼ見回り棒。水深確認板。畦の水漏れ防止の対策。排水口の水位調整。田植え一週間の水管理。今年新しく使う予定のソバ殻蒔きと抑草の様子の確認。追加の必要性、表面を覆う時間。沈降するまでの様子の確認。そば殻の抑草効果は期待できると思っている。

 田んぼの生き物観察。これは渡部さんに教えてもらう事になる。モノアラガイの卵とコオイ虫を昨日教わった。湧いてくるミジンコ、赤虫は出ないのか。期待の豊年エビの発生はあるか。オタマジャクシ。ドジョウは現われるか。もずくがにやオニヤンマのヤゴは見つかるか。蛍はもうでていると言うことだ。水温の場所による違いの確認。田んぼの土の状態の変化。土の匂いと感触の変化。泡の出方。泡の匂い。

 直播田んぼがこの後どのように田植え部分と違ってゆくのか、あるいは同じなのか。いずれにしても直播田んぼは1本植にして、ここはハルミの種取り田んぼにすればいいかと思っている。今年のハルミとサトジマンの結果次第で今後の品種が決まってゆく。

 肝心の苗の活着と成長の状態。欠ノ上田んぼと柿の下の新田との違いを観察したい。昨日の苗取りでは、結局のところ、1㎡に200グラム以下の播種量でないと良い苗は出来ないという事だった。柿の下C田んぼのサトジマンの種籾確保。これは来期の他のたんぼの分も考えておきたい。サトジマンの種籾の入手は今後困難になる。分ゲツがよく出る品種を確立させたい。この点ではあと一息の所に来ていると思って居る。

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