絵がわからない、と言う人が多い。

どうも絵が分からない。こういう言葉をよく聞く。私の絵を見てそういう発言があるときは、碌でもない絵だからで、よくないと園力無く行ってもらえば良い。人に分かるようにまともな絵を欲しい。と言うことだと聞いている。今努力しているので、もうしばらく待って欲しいと答える他ない。
しかし、絵を分かりたいというのは、どういう気持ちなのだろうか。モーツアルトを聴いて、分かる人はいるのだろうか。なんか好きだなー。これはいい。感銘を受ける。心に染みてくる。辛いときに聞く救済になる。音楽は分かるようなものではない。
私にはモーツアルトは救済である。モーツアルトが分かる人というのがいるとすれば、どのようにわかるのだろうか。音楽の良さは感じたままであり、理解して、分かるようなものではない。音楽はすべて具体的な意味など無い。抽象的なものだ。そのまま感じているだけのものだ。
絵を分かるというのはどういうことだろうか。私の絵見て感じるものがない。これは別にして、どんな絵あっても分かろうとするようなものではないのだ。見て救済される人がいれば、それはすごいことなのだ。私は中川一政氏の絵を見ると、思わず手を合せたくなる。
わたしの絵の場合は、描いている私が絵とは何か、まだよく分からないのに、見る人が分かるはずがないだろうと思う。ただわたしの目指しているところの方角に共感できる人はいるかもしれない。絵の方角である。よい世界を探っている。そ言う姿勢だけは伝わるかも知れないと思っている。
それは思想哲学である。共産主義を望ましいと考えている。資本主義を素晴らしいと考えている人には、分りやすく言えば能力主義を正しいと考える人には、私の絵は受け入れられないでも仕方がない。むしろ、能力主義は克服されなくてはならないという絵だと考えている。これはより分かりにくい説明かも知れない。
絵を見るとき好き嫌いでみる。その好き嫌いの感じ方は、その人の人間なのだ。思想とか傾向とかいってもいいだろう。思いきって言ってしまえば、思想が無い人には、絵というものは分からないとも言える。結局の所絵は好きか嫌いかは大切な入り口なのだ。
好きだと思ったら、何故この絵が好きなんだろうか。と思うところから絵が存在する重要性が、だんだんに分かってくる。私はマチスもボナールも好きなのだが、最初はボナールが好きだと言うところから始まった。中学生の頃、ボナール展を見て圧倒されてしまったのだ。
ボナールの絵に中学生の感性が、何と美しい色の調子を描けるのかとはまり込んでしまった。色彩の魅力である。こんなに美しい色使いは見たことがないと思った。もちろん何がどのように良いというような理解など無い。絵が分かったとも思わない。ただこんな色で絵を描いてみたいと考えた。
その色彩は作られた色彩だった。庭のまばゆい光をとらえているのであるが、描写しているものではない。ボナールという人間が見た色彩の美しさに還元されているものだ。このボナールの色感に魅了されたのだ。モネと似て非なるものがあると思った。
それまでモネも好きだったのだが、人間ボナールからにじみ出てきたような色使いに陶酔してしまった。その色彩の世界には60年経過した今でも、魅了され続けている。ボナールは日本の浮世絵に魅了されて、あの色彩の世界を展開した。日本人の私がはまった理由も、そこにあるかも知れない。
江戸時代の絵画は19世紀のヨーロッパに大きな影響を与えた。日本は江戸時代を軽んじて、克服すべき社会と考えていた時代である。明治政府の幼稚な脱亜入欧思想である。その日本文化をないがしろにした帝国主義と言う野蛮な政治思想は今も継続されている。
江戸時代の文化レベルの高さは、世界史的に見ても別格と言える。浮世絵は庶民が買って見て楽しむものだったのだ。絵を庶民が買うというような文化は歴史上初めてのことだっただろう。その庶民の鑑賞眼が、実はボナールを感動させた高度な美意識を生み出したのだ。
ヨーロッパでの浮世絵の登場は、陶器の包み紙からだ。日本では価値がないと考えて、包装紙にした。緩衝材にした浮世絵が、陶器以上にヨーロッパに影響を与えたのだ。今の私には浮世絵を見て、ボナールほど感銘を受ける感性がない。その時代時代の感覚のぶつかり合いがあるのだろう。
ボナールに浮世絵の色感を分解してもらい、なるほど美しいと感じているのだ。その時に日本人の私はこの原点が、浮世絵にあるなどとは少しも思わなかったし、今でもそうは感じない。まばゆい南欧の光の庭が現われる。今度は私が、石垣の強烈な光の、農地を描いてみたい。
絵を分かると言うことをあえて言葉にすれば、方角に共鳴すると言うことだ。浮世絵には共鳴できないが、成るほどとは思う。参考には成るだろう。しかし、そういう見方はしても仕方がない。人の絵を参考にはしたくもないから、参考にしたら自分の絵ではなくなる。だから浮世絵を見たいとは思わない。
ボナールの絵はいつでも見たい。魂が浄化される。私の曇った感性が、一瞬霧が晴れる。絵の意識が洗われる。それが絵が分かると言うことだろうと思う。しかし、それは脳が理解するとは別のことである。
最近マチス展を見て、マチスは分かったという絵だ思った。マチスは理屈で分析が出来る。マチスは確かに知性的に絵を追求している。だから知性的に見ることが可能だ。私の場合、ボナールからマチスに入り、またマチスからボナールに到達できたという気がする。
実は絵が分かるにも段階がある。中学生の時のボナールの感激と今ボナールを見ての感動とは少し違う。中学生の時のボナールは夢のような憧れだった。あれから、絵を描き続けてきて、ボナールの色彩の魔術の種が見えてきたわけだ。何故色彩が美しいのかが、知性的にも理解が出来る。
当時、ボナールの色彩はガランスのような透明色を、不透明色にわずかに混ぜている。その微妙なニュアンスの作り方が絶妙なのだ、と言う文章を読んで、真似をしてみた。ところがまったくボナールの美しさには近づくことすら出来なかった。
不器用と言うこともあったのだろう。ボナール風の絵を描くと言うことも結局無かった。自分がその場で見えたように風景を描き、見えたように静物を描いていた。それ以外に思いつくこともなく、ただ絵を描いていれば満足だった。それは大学の美術部でも同じだった。
結局今でも絵を又描きたいと言うだけなのだ。人の絵から学ぶと言うことと、自分が絵を描くと言うことは回路が違う。中川一政氏から学んでいるのは絵を描く姿勢である。中川一政風の絵を描きたいなどとは思わない。絵を描くという行為に深く、踏み込んでいきたいだけだ。私は絵をそういう物だと、理解している。