のぼたん農園の絵図

   



 のぼたん農園の絵図を描きたいと思っている。絵画作品として描きたいと考えている。修学院離宮の入口の脇にある建物には離宮の絵図が掲げられていた。その絵図は修学院離宮の実際の構成がよく分かるものだ。誰が描いたものかは知らないが、皇室ゆかりの日本画家はどうしたのだろうか。もう少し絵である方が良い。

 この絵図で一番不思議なのことは、庭園であると言うより、棚田が大半を占めていると言うことだ。もしかしたら、後水尾上皇は皇室の自給を考えたのだろうか。幕府にないがしろにされた天皇として、皇室の自立を考えたかも知れない。少なくともそうした思想は持っていた人と考えていい。

 案内の前に絵図で今日の見学をあらましの説明がある。そして注意事項などの指示がある。残念ながら後水尾上皇の修学院離宮に実現しようとした、理想郷の思想までは説明はない。看板として悪いわけでは無いが、それなら空撮の写真を拡大した方が良いかもしれない。

  そもそも、修学院離宮が天皇家の思想を表現したものだ。と言うような話は私だけが考えていることだろう。明治政府は天皇家の存在を利用したのだ。帝国主義をでっち上げるために、皇帝のような立場に祭り上げたのだ。それ以来現在も、天皇家の本質は誤解されたままだ。

 江戸幕府にないがしろにされた天皇家の立場と、現在のように象徴に奉られて居る人間天皇の立場は、どうも似ている。尊敬して遠ざけているようなものではないか。京都に皇室は戻るべきだろう。そして、修学院離宮で農業を行う、神官である。それが一番天皇家らしい姿では無いだろうか。

 美しい庭園になぜ、水田があると言うのだろう。その当たり前の事をもう少し考えてみる必要がある。幕府に農民に対する影響力を削がれた後水尾上皇が、いわば蟄居させられたような環境で、何を考え、何を行ったかである。文化を持って理想を占めそうとしたと考えるべきだ。

 案内看板図だから当然と言えば当然なのだが、看板は絵図とは言えない。雪舟の天橋立図は理想郷の絵図である。1501から1506の間に描かれたとされる。雪舟が80歳を越してなお現地に歩を運んで、実景を写した といわれている。たぶん行く必要は無かっただろう。思い出して描いているように見える。私の画法と似ているので分かる。そうか、私が雪舟に似ている。

 雪舟であれば一度絵を描く目で見た場所であれば、いつでも描けたはずだ。雪舟は天橋立を含んだ寺院を描くことで、雪舟の考えた理想郷を描いたと考えている。寺院から寺院を繋ぐように、海に天橋立が横たわる。雄大な風景に仏教の世界観が表現されている。天橋立図はそういう雪舟の集大成の絵なのだ。この絵が無ければ雪舟の意味は見えなかった。

 雪舟は僧侶禅宗の僧侶である。幅広く様々な方向の絵を描いているが、雪舟が中国で学んだものは、絵と言うより禅なのだと思う。禅の思想を絵画作品の中で表現するかを考え続けたのだろう。その集大成が天橋立図である。最晩年の作品である。

 雪舟は写生画というものもを日本で最初に描いた人だ。ヨーロッパではダビンチがモナリザを描いていたのと同時代のことだ。絵画というものがその時代の変化の中で、世界各地域で思想の表現としての絵画が誕生した時代である。

 雪舟は禅を学ぶために明の時代の中国に渡った僧侶である。明の時代は中国の絵が全盛を迎えた時代である。それを目の当たりにして、絵画がの意味を悟ったのではないか。雪舟には日本で、日本の風景を写生して描くことで実現しようした世界観がある。日本絵画の祖と行っていい人であるし、私の師でもある。

 「のぼたん農園」私の中では楽観園である。楽観の自給の思想を体現したものにしたいと考えている。大きさは修学院離宮の10分の1にも満たないが、その中に自給の思想を込めたいと考えている。自給に生きると言うことがどういうことか、楽観園を見れば、分かる人にはわってもらえるものにしたい。

 実際の自給が成立するかはまだ分からない。農園の成立はその収量で分かる。畝取りできないようでは本物では無い。畝取りできない農業であれば、遊びといわれても仕方がない。200㎡の田んぼで120キロのお米がとれるようになれば、この楽観園の姿は間違いが無いと言うことになる。間違いがあれば、その収量はとれない。今年は80キロぐらいでは無いだろうか。

 沖縄が収量の低い一番の原因は「ヒトメボレ」が奨励品種になっているためだとみている。JAに販売するほか無いから、ヒトメボレを作るというであれば、それは遊び半分で、本当の農業では無い。石垣島の気候に適合する品種を見付けて栽培すれば、120キロの収量が可能だと考えている。あらゆる手段を持って、120キロを目指すつもりだ。そういうことまで絵にしたいのだ。

 農園全体は2畝10枚で二反である。総収量は240キロが目標となる。5年後の収量でこの収量を達することが出来れば、楽観園の思想が体現されたと言うことになる。まだ冒険は始まったばかりだ。しかし、その思いというか、願いは持っている。

 のぼたん農園は5つの部門で構成されている。一つが田んぼ。二つめが水牛放牧。三つめが熱帯果樹園。そして四つめが畑作。五つめが自給エネルギー。いまのところ、畑作のとり組が遅れている。何しろ余りに石が多く
て、取り組む余裕が無い。耕していて、トラックターを壊してしまった。

 緑肥として向日葵を蒔いた。農地は美しくなければならない。美しい場所で働くことが喜びになる。江戸時代の農村ほど美しい調和をした世界は無かったと言われている。循環して行く暮らしの場は美しいものであるはずだ。ごみ一つ無い暮らしが生まれるはずだ。

 自給エネルギーとしてはバイオガスをやってみたい。風力発電も取りくみたい課題と考えている。サトウキビを作り、絞って糖蜜を作りたい。水牛を生かして、自然エネルギーで煮詰めて行く。そして10軒の糖分を生産する。

 今後サトウキビ畑、大豆畑、麦畑、玉ねぎ畑、ジャガイモ畑と、作って行きたい。日々の葉物などは各自の田んぼの周辺で作る事ができるだろう。あの大量の石をすこしづつ取り除くことが必要である。そして畑の土壌を改善して行くことだ。

 絵図にはそういう楽観自給の思想が表現されなければならない。絵図があってこそ、のぼたん農園が実現できるはずだ。絵図は冒険の為の航海図である。行くべき方角を示したものである。こんな世界を目指そうという絵図が描きたい。

 明るい絵が描きたい。見て楽しくなるような絵が描きたい。明るさを生み出す。その楽しさが楽観にまで至っていなければならない。私に楽観が無ければ描けることは無いだろう。まだ描けることはないはずだ。ただその方角を目指すことだと思っている。

 100歳まで日々の一枚を描き続ける事ができれば、楽観に至れる可能性はある。今日の一枚を存分に描くことが出来るかだろう。今日も存分に農作業をする。そして精一杯絵を描く。その結果が楽観農園の完成であり、楽観農園の絵図も出来るのだろう。

 - 楽観農園