月刊やいまのクルバシャー4月号

   

 4月の「月刊やいま」には「クルバシャーと王九弓」松田良孝氏の文章がある。なかなか本格的な考察である。そして4月号には連載として「畦道を行く」笹村出の絵と文章のページがある。お願いして掲載していただけるようになったもので、嬉しい。すべては「のぼたん農園」の冒険の一つである。

 クルバシャーが本当の名前だったのだ。なんとなくコロバシャという風に聞こえていた。何しろ、わかばが表紙を飾っている。そうだわかばの名前は「わか」だと今頃教えられた。私にはわかばだから変えるのは難しい。昨年のシーラ原田んぼの代掻きの写真が表紙に使われている。

 月刊やいまはこのように伝統農業を大切に考えてくれている。八重山の文化の中には水田農業が大きな役割を果たしている事が分かる。これは八重山だけでは無く、かつては日本全体が水田文化の国だったのだ。日本の本質はサムライの武力の国では無く、百姓の平和な国だったのだ。

 ところが日本各地で文化としての水田が失われた。ところが近代日本が失った一番大切な水田文化が、八重山には残っているのだ。島という特殊な空間の中で、日本人を培った水田文化がまだある。水田文化は南の方から伝わったのだろう。その掛け替えのない出会いが、いまに残っているのだと思う。

 主食を水田で栽培するという方法は、中国からまなんだものだ。そして天皇家を中心にして日本人全体に広がった。日本人の所作や物腰、そして文化とまで結びつき、お米は信仰の対象にまで成った。日本人を生み出したものが、イネ作りなのだ。おにぎりの3角形は魂の形だ。

 稲作の石垣島での継続を考えれば、伝統文化としての稲作しか無い。経済だけで考えれば、沖縄本島のように遠からず、失われると考えなければならない。クルバシャーは台湾から渡ってきたものだ。その歴史が今回月刊やいまに特集されている。

 クルバシャーは今でも東アジアでは継続されている。実際にのぼたん農園で使ってみて、水牛は実用的なものだと言うことが分かった。ともかく飼いやすい生き物だ。どんな水を飲んでも大丈夫だ。ダニが付くことがあるが、イベルメクチンを与えなくとも、問題が起きないほど強健だ。

 エサは牛やヤギが食べない雑草まで食べてくれる。中にはあのやっかいなアメリカハマグルマまで食べるものも居る。ヤギを除草に使うところがあるが、水牛除草の方がはるかに効果が上がる。のぼたん農園を最初に開墾してくれたのは、わかばとゆずである。柵沿いに繋いでおき一定きれいに成ったら、徐々に下の方へ移動した。

 それが3.6ヘクタール三ヶ月できれいになった。夏ならば日照が強すぎて、炎天下の苦手な水牛では無理だったのだが、冬の三ヶ月だから、問題が起きなかった。4月になった今は曇りや雨の日だけ木のない所に繋いできれいにして貰っている。

 その上水牛は気立てが良い。人間をよく覚えてくれる。そして人間を見分ける。付き合いが長くなればなるほど、なじんでくれる。家畜として素晴らしい生き物だ。アジアの農民生活には不可欠なものだと言うことがよく分かる。水牛と一緒になって開墾したのぼたん農園の第一歩は誇らしいものだ。

 「畦道を行く」はやいまの編集部が考えた表題である。なんとなく、街道を行くの、司馬遼太郎と須田克太を思い出してしまう。確かに街道よりも畦道である。石垣島の農業の姿を絵で表現したいと考えてのことだ。石垣島の水田がいかに素晴らしいものかが表現されると思っている。

 それほど大して事ができる力量があるとは考えてはいないが、全力で取り組みたい。開拓農業を行い、絵を描いてきたものとしては、石垣島の水田のために、何かやるべき役割があると考えて、掲載をお願いしたものだ。私に見えている石垣島があるはずだと思っている。石垣島の水田の魅力を再発見することに成って貰いたい。

 今月号には創刊三〇周年記念のプレゼントがある。月刊やいまの感想を添えて、4月中に応募すると、一年間月刊やいまがもらえる、かもしれない。もちろん感想は「畦道を行く」の企画は続けて欲しいという感想が望ましい。そういう感想が一人でも二人でもあれば、打ち切りにならないで済むだろう。

 ハガキで南山舎株式会社 月刊やいま読者プレゼント係 行でお願いしたい。出来れば日本中でやいまを読んでくれる人が増えると嬉しい。石垣島に遊びに来て欲しい。のぼたん農園によってくれれば、わかばの子供の、「のぼたん」にも会える。

 隔月の掲載なので、次の私の掲載は6月号と言うことになる。できれば偶数月の購入をお願いしたい。6月の予定は「英太郎さんの田んぼ」という絵である。石垣島に来るきっかけになった田んぼの絵だ。こんな不思議な田んぼは石垣島独特のものだ。

 8月号は「のぼたん農園絵図」にしようかと思っている。見たら石垣島に来て農業体験がしたくなるような絵なら良いのだが。これはまだ描きかけである。10月号は「宮良川の中流域」の絵にしたい。これは去年水彩人展に出した絵にしようかと思っているが、まだ先のことなので新しく描くかも知れない。

 12月号は「フサキ岬の牧草地」2月号は「大里の田ん
ぼ」4月号は「シーラ原上のパイン畑」その次は平和牧場、その次は海南の田んぼ、その次はと実は絵の方の予定は数年続いても大丈夫な状態である。問題は続けさせてくれるかどうかである。

 ぜひとも、「畦道を行く」の継続希望の感想を寄せて貰いたい。これは八百長のお願いと言うより、のぼたん農園の応援と考えて欲しい。小田原にいたときも、月刊やいまは読んでいた。もちろん定期購読も出来る。畦道を行くを見たいので、年間購読をしたいですと言うことがあれば、鬼に金棒である。

 クルバシャーについて書かれている松田氏は、以前八重山毎日の記者をされていた。台湾と八重山の歴史を調べられている。今はフリーになって台湾と行き来をしながら、八重山毎日に時々記事を書いている。台湾ファーンとしては、松田氏の書かれた本はぜんぶ読んだ。

 今回のクルバシャーの記事はとても内容が深い。台湾人差別の問題にも触れている。石垣島にとって、台湾は先進地域だったのだ。那覇より台北が親しい都会だったのだ。日本が台湾を植民地にして、台湾精糖という会社を作った。そして台湾のサトウキビ畑を買収した。一定規模のサトウキビ畑を自社所有地にしたのだ。

 台湾精糖に畑を売った資金で新天地を探して、石垣島が適地であると言うことで、石垣島に台湾の人達が移住してきた。石垣島の遅れた農業状況に、先進技術を持った台湾人が入植してくる。水牛やパイナップルも導入する。そのこと自体が、石垣島の農業者の脅威に成ったと考えられる。

 台湾の人達は石垣島の人がマラリアを恐れて住まなかった地域に入植をした。ところが、台湾の人達は健康に気遣い、栄養豊富な食事をした。そのためにマラリアを克服した。そして石垣島で成功を収めた。そうした優れた活動が、石垣島の人にはさらに脅威であり、やっかみが生まれたかも知れない。

 松田氏は八重山合衆国という本を書かれている。石垣島という所は様々な人間が入り交じっているという視点で書かれている。軋轢はあったのだが、和解をして、いまは差別感情どころか、ある種の尊敬の対象になっていることを感じる。いつかまた、台湾八重山航路が復活するように願っている。

 

 - 石垣島