農作業と絵画制作の折り合い
毎日農作業はしている。毎日絵を描いている。時間的に考えれば、絵を描いている時間の方がたぶん長い。農作業の方は日によってはかなり長いこともあるが、それほど続けて働くことは滅多に無い。少し働くのが一番楽しい。
絵を描く時間がとれないほどのことは、たぶん一日も無かった。逆に絵だけを描いていて、何も農作業をしなかったという日もなかった。毎日を良い日々だと思っている。のぼたん農園を始めたことは絵を描くことにも良いことだったようだ。
絵を描くときは田んぼをやるように、田んぼをやるときには絵を描くように。これは意識することにしている。といっても絵を描き始めれば、絵に反応しているだけになるので、制作の場面ではそうした考えが浮ぶこともない。田んぼをやっているときは、そうだ絵を描くようにやろう、と時々意識に登る。
そんな絵と農作業の日々の暮らしが、石垣島生活にも収まった。農民絵画というものがあるが、私の絵はそういうジャンルのものと言えるのかも知れない。農民を題材に描くわけでは無いが、農民が絵を描いていることは確かだ。農作業をしているから、農地のある場所が描きたくなるに違いない。農作業には深い喜びがある。十分作業が出来ると安心が出来る。
作業療法というものがある。農作業をすることで、病を癒やされてゆくという療法である。農作業の充実感には食べるものを作っているという、人間の命に結びつく根源的な安心がある。身体を動かすと言うことの良さもあるのだが、それ以上にこの作業によって自分が生かされているという実感がとても心地よい。
絵を描くときには、自分が描きたいと思うものだけを描こうとしている。絵は自分のためを一義としてに描いているのだから、それでいいと思っている。いわば絵画療法と考えてもいい。絵を描くことが自分の生きる根源と結びついている。
白い画面の前に座り、大抵は長いこと眺めているだけである。描きたくなるものが現われるまで待っている。出てきたものにうまく従うのは難しいのだが、描き出せば、自分が自動描画器のようなものになっている。
最初は意識的にそうしていたのだと思うのだが、今はあえて意識しないでも、描く機械にたちまちになる。それが良いのかどうかも分からないのだが、自分に至る道だと考えて、この方法で進もうと考えている。いくらかでも進んでいるという判断が出来るからだ。
シーラ原で田んぼを始めたときに絵がわずかに変化した事を感じた。そしてのぼたん農園を始めて三ヶ月少し絵は進んだかも知れない。進んだのは自分に向かったと見えるからだ。絵を描くと言うことが、いくらか楽になったようだ。これでは違うと言うことがいくらか見えるようになったのかも知れない。
何が自分で、何が自分では無いか。絵の上での自分のことがいくらか分かるように感じられる。随分遠回りの要領の悪さである。こういうことは若い内に分かるのが、才能のある人なのだろう。勘が悪く自分の絵というものに至る道にまで来るのが長すぎた。
まだ時間がかかると言うことは自覚している。未だ自分の入口ぐらいの感触にいる。農作業と絵画制作の両輪で進むつもりだ。この道をあと30年続けられれば、明確な自分の絵に至れる可能性はある。諦めることは無い。
それは自分の中の確信のようなものが出来上がるのかどうかにかかっている。そこに農作業がある。毎朝動禅を行うが、それ以上に農作業には何か思いがある。農作業は正直身体を酷使する。一種の苦行だと思っても言いかもしれない。
先ずは、もう一度石垣島での自給生活の確立である。それが出来ないようでは私のやってきた自給生活が中途半端だったと言うことになる。山北で実現したひとりの開墾生活。小田原で農会での自給の実現。石垣島でのぼたん農園が実現できれば3度目の正直で、再現性があると言うことになる。
毎朝スワイショウ、八段錦、太極拳をする。自己採点すると50点ぐらいの所だ。覚えて40点。忘れて50点。忘れることがやっと出来たところだ。抗したものは覚えたことを思い出しながらやっているのではだめだろう。
八段錦は呼吸の体操なのだが、良い呼吸を覚えて、そして忘れても良い呼吸になっているよう出なければならない。意識をしないでもできると言うところまで進まなければ、本当のことには成らない。本当のことは無意識の世界まで入り込む。
太極拳の動きを覚えるには一年間かかった。覚えは悪い方かもしれない。なかなかどう動くのかが分からないでやっていた。やっと一年して一通りを覚えた。ひとりで思い出しながら行うことが出来るようになった。そして今は忘れてゆく課程にいる。
歩く時に、歩き方を思い出しながら足を出す人はいない。無意識に歩ける。長年の練習のたまものだ。同じことで太極拳も歩くように思い出すのではなく、無意識にやれるようにならなければ。そこから自分の太極拳が始まるのではないだろうか。今やっとそこまで来た。
絵も同じだと思う。絵の描き方を思い出しながら描い
ているのでは無く、無意識にやれるようになる。絵を描く技術が自由に駆使できるように成ったら、自分の絵を描く出発点まで来たと言うことだ。ここから自分とは何かという、描くべき本質への道が始まるのだろう。
ているのでは無く、無意識にやれるようになる。絵を描く技術が自由に駆使できるように成ったら、自分の絵を描く出発点まで来たと言うことだ。ここから自分とは何かという、描くべき本質への道が始まるのだろう。
今頃出発するというのは、愚鈍な上に、好きなことを追い続けて回り道ばかりしてきたからだろう。ところが今になってみれば、好きな遠回りをしてきた御陰と言うことがある。考えれば、この回り道が良かった。見当違いばかりで、一向に絵のことが分からなかったということが良かった。
ここから始まることができるのだ。身体がひとりでに太極拳を行うように、筆がひとりでに絵を描く事ができるようになりそうだ。その時に絵を描かせているものは一体何者かと思う。果たしてそれが自分なのだろうか。今はその日が来ることを願って描いている。
昨日も一日絵を描いていた。作業は雨瀬の間に一時間ほどユンボ作業をした。アトリエに戻って絵を見ると、案外、この先が見えてくることがある。農作業の気分転換はいいようだ。のぼたん農園が出来るまで5年とみている。その頃になれば絵ももう少しましになっているかも知れない。