石垣島の空気

   


 この写真は二週間前石垣島を離れるときに飛行機の窓から取った白保の珊瑚礁の写真だ。外海と珊瑚礁の間にはいつもこのような白波が立っている。この海の様子が見たくていつも窓側に座る。白いところが砂で、黒いところが珊瑚なのだろうか。

 これから二週間はコロナ自粛期間である。アトリエカーで絵を描きに行くだけである。不要不急の老人は絵ばかり描く事になる。小田原で描いた絵を見ながら、石垣島で描く絵のことを考えている。世間との接触は当分無い生活である。

 現在体調に異変は無い。何かあるとすれば、小田原から石垣に戻る移動に伴うものである。小田原を12時、時間も空いている時間を選んでいるので、電車も空いていた。羽田空港もそれほどの混雑では無かった。飛行機も横三席に一人で座れた。今回はバスには乗らなかった。大丈夫だろう。

 飛行機は若い人達ばかりだ。さすがに老人は自粛しているようだ。不用老人が出歩くのは気が引けるが、コロナの湯にも行かない農業生活だったので、許して貰うほか無い。野外作業で感染することは無いと考えている。スーパーには二回だけである。もちろんレストランなどには行くわけも無い。

 ぱいのしま石垣空港に降りると湿度に満ちた大気がまとわりつく。ここは確かに石垣島である。以前は異国に来たという気がしたものだが、今回は慣れ親しんだ場所に戻ってきたという安心があった。小田原の乾燥した空気の方が違和感がある身体になっている。

 2年という歳月が身体を石垣島になじませている。この湿気はむしろ身体に優しいものだと感じるようになっている。昔はべたつく空気をうっとうしく感じたことが嘘のようだ。旅行で石垣島にきたときと、住んでいる場所に戻るときではこんなにも違うのかと思う。

 12月10日24度、雨である。小田原で感じていた寒いという感触をもう忘れている。冬が来るぞと言う緊張感がいつの間にか抜けて行く。すっかり油断してかまわないとぬるい空気が暗示している。絵だけで良いというような気分に変えている。

 アトリエに篠窪と甲府盆地で描いた絵を並べた。床に裸足が湿っている。湿度の違いと言うことが絵にも感じられる。絵を描く意味でも時には、石垣を離れて描いてみるのも必要なようだ。離れてみて始めて今居る場所が分かるということがある。

 石垣で描く絵の方がさっぱりしている。絵空事と言っても良い。生活感が無いと言えば、生活していないのだから当たり前である。石垣島では絵を描くだけの暮らし。絵を描くことは生活では無い。石垣島には昔の記憶も無い。一番は遠くの山並みがない。50キロも離れた3000メートルの衝立のような霞んだ山。

 生まれた場所で描く絵は、記憶の奥に沈んでいる景色が重なる。絵を描く時には記憶が呼び覚まされている。記憶に無い場所で絵を描くと言うことは、自分の時間とは別のことになる。切り離された絵。今の自分が初めて出会う場所の絵。

 石垣島で風景に向かい合って絵を描くと言うことはそういうことなのだ。もう少し具体的に考えれば、目の前にあるものは色と形とで構成される空間に近づいている。たぶんそんな場で再出発したくなったのだ。もう一度70才から再出発の、絵を洗い直すためには、記憶に無い場所に移る必要があったようだ。

 何を描こうとしているのか、さらに行方不明である。行方不明であることから逃げないでおこうと思う。今日描きに行き、どんな感触であるか、その感触のままに描く以外になにもない。そしてどれほどどうでも良い絵を描くとしてもそれが自分というものだ。

 せめて、作り上げた絵という観念の自分では無いところで絵を描きたい。絵を描こうとせず、自分が見えているものが何なのかに向かい合うように描いて行きたい。絵を描くと言うことより、自分というものを突き詰める事の方が先決である。

 この歳になっても自分の確認が出来ないというのも困りものであるが、絵を描いているとその自分の未熟のようなものを見る以外になくなる。まだまだと言うことを思い知らされる。自分を越えて絵というものはないことを思い知らされる。

 個展を止めた理由がよく分かった。個展をやろうとすると自分を演出してしまうのだ。インチキの自分を着飾って上物に見せようとしてしまうのだ。格好を付けてしまっていたのでは、さらに自分から遠ざかって行く。自分のダメさに向かい合うと言うことが出来なかった。

 画廊の方はどうしても経済を回さなければならない。商売人の子供として育ちしみじみと商売の大変さを知っている。だから、その気持ちを受けてしまい、何とか売れないかと考えてしまい過ぎる。それは自分が絵を描くと言うことと相当に距離がある。

 見て貰うだけの絵を売らないしあげない個展を長沢節さんがやっていた意味の一面が分かる。それでもいつかアトリエ展はやりたいと思う。石垣島の風景が自分の絵として描けた時だろう。80才ぐらいを目標にするのか、カジマヤーの98才なのかそれは分からない。

 今日は三ヶ月ぶりぐらいに成る崎枝に行ってみようかとおもう。もう除草剤の影響は軽減されたかもしれない。
 

 - 石垣島