菅総理大臣の政治思想の根元は自助である。
菅総理大臣が「自助・共助・公助」と話した。「自助・共助・公助」は自治会の避難訓練の挨拶でよく出る言葉だ。小田原でも聞いたし、石垣でも聞いた。この言葉を総理大臣になろうという人が話した。普通の人と考えていいのだろう。何か引っかかるところがある。少なくとも安倍前総理大臣はこう言うことは言わない。
先ずは自分の安全は自分で確保しなければならない。次にご近所で助け合う共助である。そして最後に公の助けが入る。わざわざ言いたくなるのはこの順番を言いたいのである。簡単に言えば、災害時にはまず自分の身を守れ、ご近所は助けてくれるかもしれないが、公はまず無理と考えておけということと受け取る。これを総理大臣が言うところに意味がある。
自治会長のような総理大臣である。身近であるが、どこ威厳は不足しているがその点が良いと思う。たたき上げという感じもしない、田中角栄のような迫力があるわけではない。普通の人がどこまで日本の総理大臣をやれるかであり、とても大切なことではないだろうか。普通の人であったことを忘れないでいてくれると良い。
アベの忖度政治はたまらないものがあった。それを継承すると言うことで総理大臣になれたとしても、もう成ったのだから忘れて貰いたい。アベの作り上げた、利権態勢やもたれ合いはなるたけ尊重しますので、と言うのが、菅総理大臣に成る前の言い方であろう。先ずはそう言ったほうが総理大臣になりやすいのだから当然である。
成ってしまえば、菅流で当然やるべきだし、やれるはずだ。短期政権と言われているが、化ける可能性はある。官僚や政治家一族出身ではない総理大臣だから、期待できるものはある。まして東北の農家出身である。農家の長男坊が家を捨て立身出世を望んで東京に出てきた。その感覚には期待感がある。憲法改定も総裁就任で口にした。自民党の党是であるから、発言せざるえないのだろう。こういう所がそつが無い。
一日も早く、コロナを終息させて、東京オリンピックの開催である。オリンピック東京開催は反対であったが、今となればなんとしても開催だけは成し遂げなければ、日本というアイデンティティーが危うくなる。完全に自信を失うことになる。最低限のことも成し遂げられないようでは、がっかりである。
すでに、日本はいろいろがっかりするようなことが続いている。政府は口先でごまかしてきたが、オリンピック中止ではダメ押しになるだろう。この下り坂日本の中で何とか踏みとどまることが必要だ。菅総理大臣には是非とも、この難しい日本の状況のストップ役になって貰いたい。
菅官房長官が「自助・共助・公助」を言ったときの意味は私には自分のことは自分でやれというように思えた。確かに政府の赤字の膨れ方を見れば、消費税増税を言わざるえない状態である。菅総理大臣は正直な人だ。公助の後退を思っているのではないか。
戦後日本社会は北欧型の社会福祉の手厚い国を目指した。もう目標は遠のいたと言うことだろう。無理だったのだ。自分のことは自分で考えざるえない国に後退しようとしている。菅氏自身がそう生きてきたはずの人だ。安倍お坊ちゃんとは違う。教育ですら、所得格差が及び始めている日本である。
一人が頑張ると言うことも社会に繋がっている。その一人が健全に頑張れる社会を目指してもらいたい。一部の利権者だけが、黙っていても有利になるような不平等社会にアベ政権はした。アベ時代だった。桜を見る会に行ける人とその他の人の色分け社会。菅氏は黙っていたならば、サクラを見に行けない人だ。
すべては人口が減少し、GNPが下がって行く下り坂の国の現状を認識しているだろうか。後退局面という物は難しいものだ。後退の原因には国の運命と政府のだらしなさがある。東日本大震災が日本を衰退の道へと早めたのだろう。敗戦後の日本社会は戦争で負けたならば経済で見返してやるという、日本人の意地のような頑張りが発揮された。
それは江戸時代以来の百姓日本人の性根として持っていた物である。勤勉と、社会倫理が確立していた。お天道様は見ていて下さると言う正義を信じる心である。江戸時代の日本人のまともさが、日本の近代化には大いに役立ったのだ。
それを明治帝国政府は武士道が原因と考え違いをした。それが明治帝国への道であり、太平洋戦争での敗北になった。しかし、戦後日本の幸いであったことは、健全な農村社会が地方にまだ残っていたのだ。ここから優良な労働者が戦後社会を高度成長へと導き、支えることになった。
出稼ぎ労働者として都会へでる者。菅総理大臣がそのひとりである農家の子息が都会へ大量に供給されることになる。そこで血の出るような努力が行われ、戦後日本の復活が可能になったのだ。それは日本の誇りだと思っている。しかし、農村は崩壊した。一次産業が外国人労働者によって支えられている現状である。
菅氏が農家の出と言うことは希望はあるが、大半の日本人がそうであるように農家ではだめなので、都会へ出た人だ。それでも田舎のことは忘れてはいないはずだ。忘れられるわけがない。引きずっているに違いない。しかも、70年代に夜学に通いながら、自民党の政治家を目指した人だ。ちょっと同時代人としては、困った付き合いにくい人だったはずだ。
確かにそういうひとはいた。たぶん現実主義者なのだ。あの学生闘争の中で、自民党しかこの時代を何とか出来ないと考えた人だ。若い内から社会の現実がよく見えていたとも言えるし、理想というものを信じないつまらないところのある人なのだとも思う。
アベ政権は過去最悪の政権だった。これよりひどい人が現われると言うことはさすがにないだろう。菅総理大臣の評判が余り良くないとしてもアベほどではないだろう。ただし、苦労人だから期待できるというわけでもない。苦労人が成り上がり、下積みをいじめるという事例はある。
何故、アベに取り入ることが出来て、アベの後継の座を的確につかんだかである。アベはいわゆる優秀な人は嫌いだったのではないだろうか。東大出の官僚出身者は特に苦手だったのではないだろうか。それで、引け目の感じない菅官房長官が良く忖度してくれて、有り難かったのではないだろうか。この辺の機微に鋭い。
菅総理大臣は少なくとも安倍氏よりはましだ。だから、官僚や他の政治家がそれほどは忖度しないはずだ。菅氏に能力があれば、発揮しやすい政治状況にあるのかもしれない。是非とも周りを見てばかりいないで、やりたいようにやって貰いたいものだ。
忘れて成らないことは菅総理大臣の根っこは自助である。受益者負担と言うことが徹底されるだろう。アベ政権んぼ既得権益の死守でないだけまだましなのかもしれないが、一見合理的に見える竹中平蔵流の自助努力が求められる社会が想像される。格差は広がる可能性が高い。
自助というのは全くのインチキ政治思想である。公というものの義務を隠してしまうための考え方である。例えば大学教育は受益者負担で行くべき。ということになり、教育の経済格差が生まれた。アルバイトをしながら大学を出た菅氏には、現代はアルバイトでは大学に行けないと言うことを想像して貰いたい。
まあ始まる前からケチを付けても仕方がない。すこし期待したいと思う。