琉球大学の眼科で見て貰った。

   



 石垣島の眼科の先生から紹介をいただいて、琉球大学病院で見ていただいた。緑内障の手術をする必要があるかの判断をして貰った。現状を記録しておきたい。緑内障の人はかなり多いようだ。先日もコメントで、緑内障がミカンの皮で改善されたと言うが、その後どういう状態かという問い合わせがあった。

 一言で書けば、緑内障は手術をする状況ではないと言うことだった。診察結果は六ヶ月後にもう一度来て下さい。半年の変化で最善の方法を検討しましょう。何とか現状維持をしているようなので、半年の間に急激に悪化するようなことは無いでしょうと言うことだった。

 判断は私が想像していたものと大きくは違わなかった。緑内障で一度失われた視野が回復すると言うことは一般的にはない。私がまるごとミカンを続けていて、一見視野が回復したかに見えたのは、検査機械の問題である。視野検査の機械と言っても様々ある。三つの病院に行き、病院の機械の違いと言うことがよくよく分かった。

 私は現在石垣のひとし眼科と言う先生に月一回通っている。それ以前は小田原にいたので、小田原のS眼科である。ここについては少し批判を書かざるえないので、実名を書けない。機械が旧式でしかも操作が余りにお粗末なのだ。

 S眼科では緑内障は回復しない、手術の可能性もない患者と割り切っているように思う。それは残念なことに病院経営にはお荷物患者である。最近は、緑内障も手術で進行を止められるという眼科が出てきて、これは新しい眼科の経営になっているようだ。

 日本は資本主義国家であり、すべてのことが経営中心に動いているとみて良い。医療も根本には経営が存在している。その上に仁術としての医療ある。当然のことだ。コロナで1億円もかかるアメリカと日本の無料とは根本が違う。

 話はさらにそれて行くが、65歳に成って人間ドックに行き、緑内障は発見された。この治らない眼病を抱えてしまい、精神的にかなり落ち込んだ。原因が分からない。遺伝的な要因はあるらしい。確かに父親も緑内障であった。簡単に言えば老化である。視神経の衰えである。

 何とか生きている間は見えていなければ、実に不便である。絵を描くことが目的で生きているのだから、目が見えなる恐怖は大きい。それはいわば死の宣告のようなものだ。

 失明の恐怖にとらわれる。だから医療が行うべきは希望である。ところが、緑内障は治らないから諦めさせることを医療の第一目的と成っている感がある。納得できない患者を強引に諦めさせ無ければ、話が進まないと考えているのが医療が現状だろう。経営的にもそういうことになってしまう。

 しかしその絶望感で、現状でそれ以上は悪くならないように努力することも放棄させることになったのでは、医療とは言えないだろう。確かに民間の医療期間ではより経営と言うことが背景にある。どこかで利益を上げられる患者と、そうではない面倒くさい患者とがいる。バゲットを買うお客とクロワッサンを買う客では違う。

 緑内障の患者としては自分の目は自分で判断するほか無い。そのためにはより広く情報を集め、医療を利用する必要がある。今回、琉球大学の眼科に行き、実に医療機器は日進月歩だと思った。小田原のS眼科の視野検査の機械はかなり旧式のものだった。

 今通っている石垣島のひとし眼科の機械の方が新しい優れた機械である。正確な情報が診察できる。緑内障で重要なことは、自分の緑内障がどうして起こり、どうすれば進行を遅らせる事ができるかである。現状では眼圧を下げると言うことが、唯一の対症療法になっている。

 しかし、平常眼圧の緑内障の多い日本人では、ただ眼圧を下げたからと言って進行が止められるとは限らない。私の場合、S眼科では目薬を使わない時に18ぐらいである。目薬を使って15ぐらいであった。ひとし眼科では10ぐらいまで下がるときもある。

 ところが、眼圧を測定する方法すら、古い方法と新しい方法がある。どうもこれで眼圧はゆれる。新しい方式は空気圧で測定する。以前の者は物理的に者を押し込んで調べる。どちらが正しく測れるかは分からないが、どうも物理的測定には、測定者の技量が少し影響するように感じる。

 空気圧は誰がやっても同じ結果が出るのではないか。それも1回だけの場合と、3回行い平均を取るのでは違う気がする。つまり、患者の目の方が動いてしまう。面倒なことだが、せめて直らないのであれば、丁寧な対応が必要ではないだろうか。

 緑内障の患者は眼科に行っても眼圧ぐらいしか回答がない。眼圧がたいした意味が無いとしてもこれが不正確というのではまずい。視野検査に関して言えば、これは患者の機械に対する慣れがある。目を動かさないで測定すると言っても、ついつい動いてしまう。これをどこまで動かさないで視野を測定して貰うかを徹底しなければ状況の判断が出来ない。

 しかし、どうせ治りはしないのだからと言う前提のある緑内障の診断では、結構適当になっている可能性がある。まあ、おおよそでかまいやしない。どうせ、直る物でもないのだから。という諦めというか、投げやり感が医療にないとは言えない。

 目の中を様々に撮影する機器が出来ている。そうして目の中の現状を総合判断すると言うことだ。小田原のS眼科では一度もそうしたことは行わなかった。石垣島のひとし眼科で始めて、目の神経の撮影を行ってくれた。琉球大学では5種類の異なる機械で撮影をした。

 一度はこうした精度の高い眼の内部の観察は必要だと思う。治療方法がないから、そんなことはしたところで無駄だという意見もあるのだろうが、患者が状態を納得する前提として、正確な観察がなければならない。緑内障は何をやっても無駄という医療はおかしい。

 具体的には眼圧を下げることが唯一の医療になっている。しかし、平常眼圧緑内障の場合、果たして眼圧を下げることがどれだけ意味があるかに疑問もある。S眼科では15ぐらいであれば、このままで良いでしょうと言うことだったが、眼圧は下げられるだけ下げた方が進行が止まる可能性があるという考えもあるようだ。

 緑内障の手術はそういう目的で行われるようだ。横浜の眼科ではアメリカ方式の緑内障の手術を奨励して行っているところがある。これもあくまで直す手術ではなく、眼圧を低くコントロールすることで、失明を避けるということのようだ。

 琉球大学では客観的な状況が把握してもらえた。これは有り難いことだった。半年後にもう一度見てもらうつもりだ。何しろコロナで自粛しなければならない身だ。琉球大学で見てもらうためには、ホテルに泊まらざるえない。早く飛行機の早朝便が運行されるように成ってもらいたい。
 今の調子であれば、80歳までは何とか絵が描けるのではないかと考えられるぐらいではある。65歳からいままでの変化を見てのことだ。まあ、死ぬまで見えればそれ以上のことはいらない。ただ、もう少し時間を貰わないと絵の方が困る。

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