新しい生活様式は非常事態生活様式
日本政府は国民に生活様式まで指示している。馬鹿げた話だと思う。いつまでも新しい生活様式を続けたら、人間が人間でなくなる。これは新しい生活様式ではなく、非常事態生活様式であることをはっきりさせる必要がある。新しいでは何時までも続くかもしれない。非常事態なら、時が来れば終わる。
人間らしい暮らしには人間的接触が必要だ。酒場で酒を飲んで酔いつぶれる日も必要なのだ。裸祭りだって必要であるのだ。人生はそうしたものでなければ面白くない。人間の触れ合いはとても大切なことである。誰だって手で触るだけで痛みが和らぐという経験があると思う。
ただでさえ、現代社会の人間は肌触れ合うような関係が面倒くさくなっている。人間としては疎遠な暮らしを選択している。そのほうが気を使わないで済むという事だ。そして一人が良いという事になる。それでは人間としての力は弱まる。人間は厄介な人とのかかわりで成長する物だろう。現代社会はそれを避けようと思えば可能な社会になった。
人間性が阻害された社会を作り出すことになる。むしろ死ぬも生きるももろともというような濃密な社会の方が人間らしい社会だ。命に拘り過ぎて、大切な人間らしさの方を失うような気がしてならない。どのみち人間は死ぬのだ。良く生きて、生きる。ひたすらに生きて死ぬ。それだけではないだろうか。
むしろ、非常事態生活が終わった時により人間らしい暮らしを復活させるべきだ。コロナウイルス感染がせめて、人間らしさを取り戻す機会になってもらいたい。それは、人間はいつでも死と向かい合っているという覚悟である。
新しい生活様式では良く生きることは難しい。簡単に言ってはいけない事であるが、引きこもりの暮らしが政府の指示する新しい生活様式のようなものだ。人と会わず、部屋に閉じこもり外に出ない。これならばコロナに感染しない訳だ。こんな暮らしをいつまでも続けてはいけない。特に若い人がそんな暮らしではいけない。間違った暮らし方が身に着いてしまったら大変なことになる。
今までの感染の様子を見ると、2つはっきりしたことがある。若い人にとってはこの病気はせいぜいインフルエンザ程度のことだ。若い人はタバコなど吸わないで、健康な身体を作りをする。そして、普通の暮らしをすべきだ。野外ではまずもって感染はしない。それで感染をしたところで、死ぬことはない。ごくまれな特殊例を怖れてはならない。
もう一つは感染が起こるのはほぼ屋内と考えてよい。密室がいけない。電車やバスやタクシーの中という事はある。野外で感染するという事は極めてまれである。普通の野外活動はむしろ行うべきだ。人間の健康は太陽に当たり、走り回ることで増進される。野外活動をしなければ、むしろ健康を害してコロナ以上の数の死因になるはずだ。
すでに超過死亡が起きている。死亡数が不自然に増えていると言われている。これは隠されたコロナ感染が疑われているが、それよりも閉じこもりによる不自然死ではないかと想像している。コロナ把握漏れももちろんあるだろうが。心身疲労不安死もあり得る。
コロナ自粛で太ったと言われている。太れば成人病の可能性が高まる。当然死因にもなる。総合的に考えれば、若い人は活動的な生活をすべきだ。但し、密室屋内では十分注意が必要という事になる。
石垣島では観光客の来島が問題視されている。大いにテラス席を活用すればいい。室内席は島の住民。テラス席は来島者が座る。こういう風に区分けすれば、何でもない。島の住民には感染者はいないと見ていい。若い人は早く前の暮らしに戻るべきだ。石垣島のテラスは素晴らしい環境だ。この機会に石垣島にテラス文化を創り出そう。
ユーグレナモールなどは自動車乗り入れ禁止にして、テラスをはみ出したらどうだ。楽しい道になるような気がする。テラス席は観光客。カンヌなどはテラス席は座席賃を取られた気がする。
海岸で来島者が遊ぶことも何の問題もない。潮干狩りを禁止していたが、とんでもないことだ。健康のために大いに行うべきだ。石垣島の潮干狩りで人がある程度いるのは潮入の時だけだ。あの程度の人で、海風の吹く中感染するなど考えられないことだ。コロナのことは科学的に考える必要がある。
しかし、だからと言って感染が全くないとは言えない。それはコロナだけではない。様々な病気に人間は感染するのだ。それが当たり前のことなのだ。それを受け入れながら、良い加減を取るのが人間の暮らしだ。コロナで失ったものを一日も早く取り戻さなければならない。
なぜか石垣島の行政は怖れすぎている。昔のマラリアの恐ろしい記憶があるのかもしれない。しかし、怖れすぎて対応を誤れば生活が出来なくなる。必ず感染者は出る。行政は病院の強化で対応すべきだ。病院の対応できる能力を高めることに尽きる。
そして、わたしたち70歳以上の老人は自粛すべきだ。年寄りは当分引きこもりでいいではないか。人に会わない新しい生活を辛抱すべきだ。もし、県外に行けば、2週間自宅にこもる。そうして迷惑をかけないようにする。老人が自粛生活することが、若い人たちの自由な行動を確保できることになる。
老人の仕事は若い人を助けることだろう。若い人に迷惑をかけないで、若い人が思い切って暮らせる社会を作る。コロナはまさにその時ではないかとおもう。老人は重症化する。病院崩壊の原因になる。ここで我慢することが年寄りの在り方ではないだろうか。
と言って、外に出るなというのではない。人込みには行かない。畑で働くなどは何の問題もない。人のいないところで絵を描くのは許される。買い物などは若い人にお願いする。あるいはスーパーの宅配を利用する。そうして、若い人の邪魔をしないことが老人の務めではないかと思う。これは私自身への戒めでもある。
人間が人間らしく生きるためには、新しい生活様式は最悪である。この新しい生活様式を継続していたら、人間性が壊れるだろう。人間には無礼講が必要なのだ。腹を割って話すことがなければ、組織はうまく回らない。ソーシャルディスタンスなど、外来語でごまかしているからおかしなことになる。
こんなことを続けていれば、人間らしく暮らせないことになる。人間が人間ではなくなる。一日も早く抜け出すべきだ。犬には犬の付き合い方があるし、人間には人間の暮らし方がある。科学的に怖れよう。
私などはいまさら不要不急人間の一人だろうから、どうでもいいことだが若い人はこれでは人間らしく育たない。これは学校休校以上の問題だ。コロナ流行で分かったことは人間の生活にとって何が大切かと言うことだった。人間が人間らしく成長するためにはごく普通の暮らしがどれほど大切なものかと言うことだ。