土壌と腐植の関係を知りたい。

   

 農業を始めて「土壌とはどんなものなか。」考え始めた。土が良いから作物が出来る。土が悪くて作物に病気が出る。農家であれば、誰もが言う事である。しかし、土壌のことは分かるようでわからないことばかりだった。
 土壌分析で良いとされた土壌が、良く作物が出来る土壌ともいえない気がしてきた。良い土壌が分析でわかるのかどうかさえ怪しいと思っている。土壌分析は一般の農業向きのもので、化学肥料で何を補うえば良いか分析している。

 土壌が持っている限界は化学肥料と農薬でかなり乗り越えたのだろう。しかし、長くこのやり方で続けると、土壌が疲弊してしまうような感じである。そうした畑をお借りしたことがあるが、様々な困難が起きた。
 腐植の問題ではないかと土の様子を見て考えた。腐植量を知りたいと考えて土壌検査をしていた。ところが、土壌検査の腐植量とは炭素の量を調べて、係数をかけたものなのだそうだ。一気に土壌検査に興味を失った。今まで何を見ていたのかと思う。

 ご先祖様から代々大切に土地を受け継いでゆく日本の農業では、土壌が未来永劫使えるものとして、自分の代で少しでも良いものにして、子孫に残したいという思いが続いてきた。こうした土地と離れがたい関係が日本の百姓の運命のようなものであった。

 近代農業は化学肥料と農薬で、様々な困難を乗り越えたつもりでいたら、農業を続けている間にできた畑の土壌が植えこみ素材に過ぎなくなった。土を止めて、工場農業の様な水耕栽培でも変わらないという農業である。農の身土不二の考え方から言えば、かけ離れた世界である。

 土壌は上手く農業を続けて、作り上げれば、肥料などなくても作物が育つようなものになる。腐植を増やし、微生物が沢山住めるような土壌になれば、そこで太陽の光と大気からの吸収で生まれる肥料分で作物が出来るような土壌になる。と自然農業では言われている。
 このことを確かめたくて農業をしてきたような気がする。収穫する作物よりも、気がかりなことをはっきりさせたくて、もう一度、もう一度で続けてきてしまった。

 土壌を完成させることを目標にしているのが自然農業なのだと思う。そんな土壌はあるとしても極めて特殊な事例だろう。あくまで目標であり方向に過ぎないと思っている。百姓は未来に理想を置き、それに向い努力することを大切にしてきた。と考えた方がいい。
 
 そんな土壌がどうすればできるのかで、自然農業にも様々な農法が存在する。例えば叢生栽培であるとか、不耕起栽培であるとか、炭素循環農法。緑肥栽培。輪作もある。いずれの方法であっても良い土壌を作ることが目標になる。農業に良い土壌とはどんな土のことか。

 先日、MOAの大仁農場の方が、農の会の諏訪の原の圃場の土壌調査に来てくれた。その時に穴を掘って土壌をよく観察することが大切ですよと言う指摘だった。案外農家の人は自分の畑に穴を空けて見ていないものですよ。そんな馬鹿なと思って穴を掘ってみて驚いた。基本に対して、自分の不明を恥じることになった。

 10メートル離れるとまるで土壌の中の様子が違うのだ。10㎝掘るとと固くなるところもあれば、30㎝でも柔らかいところもある。同じ畑でもわずかな場所の違いにによって大きく違うのだ。これには驚いた。確かに畑を細かく掘ったことはなかった。

 以前見学に行った大仁農場の土壌は簡単に1メートルも棒が刺さってしまう。石綿さんの畑もそうだと言われていた。これはそう簡単なことではない。深く耕したからそうなったのではなく、何らかの作用で深くまで柔らかくなったのだ。
 私の土壌の感覚では、深くまで柔らかいから、いい土壌とまでは言えないと感じている。1メートルも作土層のある土壌だから、作物が収量面で多いという訳ではない。大抵の作物が必要とする作土層は30センチ程度のものだ。
 作土層の下にある土壌の浸透性が問題になるのだろう。普通には田んぼであれば、浸透性はない方が良い。畑であれば水は抜けてくれなければだめだと考えられている。
 自然農法ではあまり収量を問題にしない。収量がそれなりにあり、しかも土壌を良くしてゆきたい。そうなるとまたいろいろ違う問題が出てくる。欲張るのは良くないと言われるが、収量は最も説得力がある。収量の低い農法では、普通の農家が取り組まないのは当たり前のことだろう。

 どれほど生命力のある作物だと言われても、収量が少ない農法ではやろうという人は出てこない。本当の意味で良い土壌であれば収量も多くなければならない。収量が多い土壌が良い土壌である。農業であれば、当たり前のことと思っている。

 良い土壌とは腐食が多い土壌だと考えている。どうやって腐植を増やすかである。大量に堆肥を入れればよい土壌になるという訳でもない。土壌にとっては良いものであれ、突然の大量の堆肥は異物だ。なじむためには時間が必要になる。耕作をしながら、腐植が増えるような農法を目指したい。
 この本当の腐植の量がわかる土壌検査が欲しい。耕作の方法で、腐植が増えたり、減少したりする実態を把握したい。腐植量の変化が分かれば、今の農法が正しい方向かどうかがわかる気がする。

 腐植は植物が落ち葉や倒木により、腐って土に戻ってゆく過程だと考える。腐るとは微生物が分解をしている姿だ。微生物の生活しやすい状態を土壌の中に作り出す。腐植は微生物が分解し減少してゆく。畑では常に腐植を加えてゆくことが必要になる。

 間違っていたというのは土壌検査に出して戻ってくる腐植量というのは、炭素量に係数をかけたものだというのだ。これは本当の腐植ではない。土壌にはそもそも含有されている炭素量がある。
 私の耕作している場所の大半が、富士山の火山灰が中心の土壌だ。その土固有の炭素量がある。この炭素はもともとは腐植由来であるかもしれないが、いわゆる堆肥のような腐植とは全く性格が違う。

 私のように燻炭が好きで、燻炭を何かと畑に使った。その燻炭のかけらが土壌検査の採種する土に偶然混ざれば、炭素量はかなり高いものになるだろう。測定に使う土壌は2グラム程度だそうだ。実際どの程度正確なものだろうか。

 腐植を増やす努力をするのは大切だが、これが土壌検査の結果に反映することはないと考えるた方が良いようだ。そんな感じだとはこれまでの経験的には感じていた。
 だとすると、今の所、自分の目で土壌を見分けるという事になる。穴を掘り土の断面をよく観察する。これが重要な土壌の見方である。

 穴を掘り、日の当たる側をきれいに断面化する。そして横から観察すると、土が深さによって変化することがわかる。20センチで変わるか30センチで変わるか。これは物理的な変化である。耕運したことない地層、あるいは植物に根が入り込んだことにない土壌は作土層ではない。
 断面の堅さをはかる。これは重要なことだと思う。硬度計というもので測定をしてみた。15ミリくらいまでなら作土層として使えるらしい。柔らかいなと感じるような土壌だと10ミリ以下になる。20ミリになると硬い土だなという状態だった。
 断面の違いは、腐植の量の違いがなんとなく見える。いかにも腐食がある土壌と、これは全くないというような土壌は見た目で分かる。上の方の層は様々なものが混ざっていて、空隙がある。断面をたくさん見ている内にそんな違いがだんだん見えてきた。

 大抵の場合、50㎝掘れば堅い層が穴の底の土壌になる。観察するとここが濡れているような土壌であると、浸透性のない土壌という事になる。この硬い層の水の浸透性が重要になる。硬くても水が沁み込む土はある。
 少しくぼみを作り、水を入れてみた。沁み込めばいいが、長く水が溜まるような土壌であれば、水が通らない土壌の場合、何らかの方法で、水が抜けるような層にしなければならない。硬い土壌を突き破る緑肥作物を作る。

 作土層は20センチあれば十分である。ここの腐植の量が重要である。それでよく分かったのは、渡部さんがやる「高畝農法」は植物の利用の中心になる土壌はかなりコントロールできるという利点がある。研究する価値がある。
 

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