令和時代と天皇制について
令和の時代が始まった。これで、私は昭和を39年。平成を30年。そして令和を何年間か生きることになる。平成天皇に対する感謝の思いが、世の中にあふれている。その共感は平和を願う象徴天皇の姿にあった。これはさすがに安倍政権でもわかることだろう。平和は武力をもってしては実現できないという意味を象徴天皇は、鎮魂の祈りの旅をつづけたのだろう。戦争責任の懺悔の旅と言っても良い。天皇の戦争責任というものと向かい合ったのだろう。多くの日本人が風化させてしまった戦争責任のことだ。韓国では従軍慰安婦問題から、今度は徴用工問題へと戦争責任の問題が拡大した。確かに韓国の政治的な状況もあるだろうが、解決済みという日本政府の対応だけでは終わらないわだかまりがある。韓国の国会議長が天皇が従軍慰安婦の手を取って謝罪してくれれば、問題は解決すると談話を発表した。天皇はそれを政府がやって欲しいと依頼すれば、心より謝罪をしてくれる人だと思う。日本政府はこの問題を国際裁判所に訴えると明言している。それならば、早くしてほしいものだ。私は裁判では勝てないと見ている。世界は当然のことに日本の戦争責任に対して何の同情もない。
解決になる問題など永遠にない。未来永劫日本という国のいしぶみとして刻み込む必要がある。平成天皇はその姿を示していたと思う。卑屈になれというのではない。罪を償うという事は未来志向の中で、繰り返し謝罪を続ける以外にない。謝罪するときに相手の落ち度をあげつらう事では謝罪にならない。それは、中国に対しても同様である。中国に行って感じたのは日本の侵略に対する根底にある怒りであった。私は養鶏の指導に行ったのだが、当初厳しい印象を受けた。お前の指導などおこがましいという養鶏農家さんの気持ちを感じた。ある晩私の父が長沙というところに長くいた兵隊であった話をした。急に顔色が変わった。上の空だった人が、急にみんな集まってきた。そしてその息子として心より謝罪をした。父の償いという意味で私の自然養鶏で学んだことをせめてものこととして伝えたいと考えて、中国に指導に来たと理由を話した。それから、少しづつ私の話を本気で聞いてくれるようになった気がした。
日本の天皇制は直系の男子という事になっている。このままでは100年の間には天皇は居なくなるだろう。現在、天皇になりうる若い人は一人だけ存在する。次の代に男の子が生まれるかどうかは分からない。たとえ生まれたとしても次の代に男の子が誕生するかはわからない。その時で天皇制は終わる。なぜ今まで続いたのかと言えば、側室制度があったからである。そういう制度を復活して作れるかと言えばなかなか無理であろう。だから天皇制を維持したいと考える人は、女系でも構わないという事を主張している。何んとも明治主義者たちが、不似合いな男女同権を持ち出してまで、女系天皇の容認を主張する。これは全く天皇家という趣旨にそぐわない。どうしても天皇を維持したいとするのであれば、むしろ側室制度の復活なのだろう。明治天皇には多くの側室がいたのだが、やはりなかなか男系男子は生まれず、唯一の子供が大正天皇になる。
天皇制はあと数世代で終わるぐらいがちょうどいいのだろう。日本国の象徴としての天皇制は終わるとしても、天皇家が終わる訳ではない。むしろ、人権を回復して天皇家としての暮らしを行ってもらえばいい。江戸時代の天皇の位置づけが良い。天皇と権力は結びつかないという事が日本の天皇制の知恵であろう。明治政府が自らの権力の権威付けを天皇制に求めたがために、天皇が武力の象徴にまでなってしまった。天皇は文化の象徴なのだ。学術、芸能、農を司る。そして神官としての天皇。あくまで権力とは別の存在であることが大切になる。明治政府復活の野望に騙されてはならない。象徴としての天皇として、平成天皇は立派人であった。しかし、天皇も人が変わればまた、考えも変わる。利用しようという人はいくらでも出てくる。危うい綱渡りを続けるよりも、静かに収まる所に収めることが大切なのではないだろう。具体的に言えば、京都に戻って頂く。京都御所や修学院離宮で暮らしていただく。東京の宮城よりも環境も良い。伊勢神宮にも近い。京都で天皇本来の役割をお願いする。