父親の子供殺人事件
野田市において、父親が子供をいじめ殺す事件が起きた。これほどひどい事件はない。どうすればこんな事件が無くなるのか。社会全体で考えなければならないのだろう。子供をいじめてしまう親がいる社会。こうしたゆがんだ親はいつでも現れると考えた方がいい。問題は殺人に誘導した周辺の、自己本位で判断力の欠如した人間。小学校、教育員会、児童相談所。すくえた子供の命を、死に追いやった地獄社会。格差社会とは、経済だけのことではない。人間力の格差が生じてくる。高学歴の人間であっても、人間性という意味では最低の人間がいる。子供を助けるべき立場の人間が、この地獄への道を手助けしてしまう。救いがない。悲しかったことだろう。子供に謝りたいばかりだ。5歳の子供が書いた悲しい手紙をまだ忘れることができない。《もうパパとママにいわれなくても しっかりと じぶんから きょうよりはもっともっと あしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします》こう書いた子供が、親に殺されてしまったのだ。書いて居て涙が出てくる。
あの時の子供は2度児童相談所が保護した。そして親に返したがために殺された。子供を親に戻した児童相談所は謝罪はした。しかし、その反省も生かされないまま、また野田市で痛ましい事件が起きた。ひどい親はいつの時代だっている。そんな家庭の子供を救出する役割が社会にはあるはずだ。それが、まるで子供を殺してくれとでもいう恐ろしい対応をしたのだ。悲しい怒りが湧いてくる。学校のいじめアンケートで「お父さんに暴力を受けています。先生どうにかできませんか。」こう書いているのだ。勇気を出して助けを求めた子供の声が、周囲の大人により、殺人を引き起こす引き金になる。この文章をこの鬼畜の父親に渡したのだ。こんな悲劇があり得ることだろうか。父親の強い要求に屈したと言っている。何故、関係機関に相談をしなかったのか。相談すれば自分の無能が表明され出世できなくなるとでも、思ったのだろうか。周囲の大人達は情けないいい訳ばかりだ。自分のその場苦しささえ逃れられるなら、殺人を引き起こすひどい秘密の暴露をやってしまう愚かさ。何という責任感の欠落した大人たちか。
この鬼畜の父親は沖縄観光コンベンションビューローの職員という。この職場ではごく普通に勤めていたらしい。ここが恐ろしいところだ。いつも言われることだが、周囲で一緒に働いていた人には鬼畜の本性は見えないものなのだ。どうも再婚で、母親にも暴力を振るっていた可能性がある。子供はもう一人ごく小さい子もいるようだから、もしかしたら上の子供は連れ子なのかもしれない。この父親は子供を殺しておいて、悪いことをしたと思っていない。しつけの延長だと発言している。継子いじめなのだろうか。親が子供をダメにしてしまう。社会が家庭の問題を探り、手助けしてゆく。仕組みとしてはすでにある訳だ。小学校。児童相談所、教育委員会。ところがこれが時に機能しなくなる。人間力の衰退だと思う。こういう弱まりが至る所に蔓延し始めている。こうした職場の空気が悪くなる可能性がある。管理、見張りのある職場。今起きている官僚データー不正と同根。我が身だけが可愛いい、忖度組織。社会常識というものを失う。
常識力と感性が劣化した人が現れ始めている。こういう事件が起こる社会状況こそ、少子化の根本原因であろう。子供が宝ではなくなっている。疎外された社会。地域社会の崩壊。老人の役割が無くなる。自分の立場だけで生きている人の増加。特に公務員にはそんな無神経人間が居る気がする。もちろんごくごく少数の人のことだから、一般論は良くないが、怒りが収まらない。少数でもこういう人がいれば、こどもがこれほ度恐ろしいところに追いやられるのだ。どこにでもどうしようもない人間が居るのかもしれないという前提で、仕組みを作り直す必要がある。2重、3重の判断の仕組みだ。父親が教育委員会に押しかけてきたら、複数の人で当たる。もし、強引な要求などがある場合は、すぐ弁護士の指示を仰げるようにする。そして、特別のことを判断する場合は、第3者機関が最終判断を下す。誰かに相談したからと言って、担当の人間の評価の下がるようなことが起きない仕組みにする。今後2度と、子供が被害者になるような事件が起きないような仕組み作りを始めて欲しい。