辺野古の土砂投入の絶望

   

辺野古の土砂投入を考えると、耐え難い思いになる。民主主義の海が日に日に埋められている。ここまで日本はだめになってしまったのだ。普通の民主主義国家であれば、辺野古の土砂投入は行われなかった。知事選の結果、県民は土砂投入を望まないことが明らかになったのだ。国が権力を持って強行することは避けるべきことだ。なぜ、こういうことが強行されているのか考えてみる必要がある。抑止力ということならほかに行うべき手立てはいくらでもある。なぜここまで辺野古にこだわるのか。米の日本企業に対する経済の圧力に対して、同盟国としての忠誠を見せて緩和してもらおうという駆け引きではないか。アメリカの属国であることを示して、米軍の沖縄からの引き上げを止めようということでもある。アメリカは方向としては海外の米軍を引き上げようとしている。アメリカは軍の駐留に対して対価を払えと要求を高めている。これから、2国間の経済交渉では、厳しい要求が続くことであろう。安倍政権としては辺野古の基地が進められない姿の弱みを見せるわけにはゆかないということなのだろう。米軍としては普天間で訓練を続けられるなら、現状の方が勝るのだ。その背景にある、沖縄にさえ我慢させればいいという、日本人全体に広がる狡さなのだ。

安倍政権の経済の思惑とあせりが、民主主義を軽視した辺野古への土砂投入になっている。何も実行できないアベ政権が唯一やっているのが沖縄いじめである。石垣では辺野古県民投票のが出来ないことが決まった。当事者たる沖縄県民が意思表示すらできないというのでは民主主義とは言えないだろう。自衛隊ミサイル基地の是非を問う住民投票も、議会で審議される。沖縄での県民投票が評価できなくなるように、沖縄の各地方自治体には安倍政権から圧力がかけられている。石垣の中山市長の行動と発言を見ていると、そのことが浮き彫りになる。住民投票をやることを県が決めたのにもかかわらず、市がそれを拒否するという構図はいかにも分断が見えてくる。住民投票の費用が無駄だとした。無駄なのは市長選の費用だった。何故、住民の意思表示が無駄だと考えるのか。明確に市長は説明する義務がある。民主主義国家においては、意志表明することは何よりも優先されなければならない。離島が分断されれば、沖縄県政はどうなるのだろう。住民の投票によって意思を表明する権利が地方自治体によって奪われるのだ。軍事は国の専権事項だから、住民の意思に反して、国防が行われてもかまわないことになる。戦前の軍隊を彷彿とさせる。

選挙で意思を示してもダメ。住民投票で意思を示すことすらできない。裁判をしても最高裁で拒絶。トランプに辺野古米軍基地を撤回させようとしてもダメ。様々な分野の高名な方々の、辺野古米軍基地反対の意思表示もある。デモも座り込みも行われているが。しかし、あらゆる行為が無視され土砂投入が強行されている。一体民主主義国家においては、これ以上政府に反対はできないということなのか。こんなバカげたことはありうるのだろうか。安倍政権はお決まりの回答である、「沖縄に寄り添う」「普天間基地の危険の除去」これ以外説明を示さない。民主主義政治というものが、完全に機能していない。こんな理不尽な非民主主義的な政治が現代に存在してよいのだろうか。それでも、安倍政権が一定支持されるということは、沖縄に寄り添わず暮らす人間の狡さなのだろうか。気づかぬ顔をしてごまかしている日本人の醜さなのか。沖縄の買収されたような自治体の醜さよ。

今の唯一の希望はトランプの貿易戦争である。近く、アメリカの本音が日本国民全体に見えるはずだ。アメリカ軍はアメリカの利益だけの為に沖縄に駐留しているという現実だ。しかも本国アメリカで兵を訓練するより、割安だから沖縄で軍事訓練をしているに過ぎない現実。アメリカと関係ない戦争であれば、同盟国であることなど思い出さないだろう。沖縄でやりたい放題やれるからアメリカ軍はアメリカにいる。本国で行えば自国民を危険にさらすかもしれない訓練が沖縄ならできる。こうして米軍は沖縄にいる。日本を本気で守る気持ちなど全くない。日本政府はすべてを承知で沖縄に犠牲を強いている。アベ政権がすでに手立てを失っているからだろう。にもかかわらず、沖縄に寄り添うなどと、白々しい発言をアベ政権は繰り返しているのだ。トランプは、金を出せ。出さないなら米軍を引き揚げる。貿易赤字が減らないなら、米軍は帰る。と脅すことであろう。その時が最後のチャンスではないか。さあー出て行ってくださいと声を上げればいい。

 

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