外国人労働者を入れるなら移民

   

外国人労働者が人手不足の対応のために来年から、導入されることになりそうだ。全くのご都合主義であり、社会制度的にも受け入れ態勢がない。将来の展望もないままに行われることになる。どうしても外国人労働者を入れるというのであれば、それは移民という形の方が良い。日本で働くのであれば、将来日本人になるという考えを持ってもらった方がお互いに良いはずだ。単なる労働力不足の穴埋めという事はとんでもない社会になるという事だ。韓国でもやっているから負けてなるものかと、宣伝報道されている。戦中である。韓国のやり方は日本にとって、悪い先行事例ではある。労働者導入の実態を調査報道しなければならない。今人手不足で困っているから、仕方がないから外国人労働者をという気持ちではだめだ。ここで労働者を受け入れるという事は、日本の方角が変化することになる。移民を受け入れるという事にして、その受け入れ態勢を十分に煮詰めることだ。

何故トランプがメキシコ国境に塀を作るのか。何故、イギリスがEUを離脱するのか。移民の増加に社会の対応力が越え始めているのだろう。そうしたすべてを考えてみる必要がある。日本は過去移民という棄民は行ったが、移民を受け入れたことはない。植民地という形で、台湾と朝鮮の人たちが、日本に来たことはあった。日本帝国主義の軍事力の競争によって、日本国内は疲弊をした。無理に無理を重ねた軍事力偏重である。その喘ぎの結果、朝鮮台湾を満州と植民地化していった。国力の増強の目的で、植民地からの労働力を利用した。それが今もって、徴用問題として問題を残している。政府は日本の為に外国人労働者を入れると考えているが、この考え方が間違っている。来てくれる労働者の就職先として日本の労働市場を開放するという事である。日本で働いてくれる労働者がより良い生き方をするために日本に来たい、というのでなければならない。都合の良い労働力と考えることは、人権の軽視である。人間同士でよりよい社会を作るために参加してもらうという事でなければならない。

その為には安易な一時的な労働力ではなく、移民受け入れる社会まで考えるべき問題である。現状の日本の社会には移民受け入れの体制がない。移民を受け入れた結果どういう状態になるかの認識がない。だから、労働者の一時使用では最悪の選択になる。このまま受け入れれば、深刻な社会変化をきたすことだろう。移民自体は悪いことではない。むしろ良いことである。石垣島に行くと台湾の人たちが残した調和がある。石垣島の排斥をしない解放感である。それは石垣島は様々な形で、ひどい搾取を受けた場所だからではないだろうか。島津藩、琉球王朝、明治政府と様々ない形で圧力を受け、搾取された。その結果台湾の人たちと良い関係を作ることができる社会が石垣には存在したのではないか。移民を受け入れることのできる人間である。今の日本人には移民を受け入れ、仲良く暮らすだけの人間性の大きさがない。差別が起きるに違いない。

外国人労働者を受け入れようということには理由がある。日本に生まれてきている下層対策である。士農工商の下の階級を作りたい社会状況。日本人がさらなる下層階級を欲している心情がある。さらに下の階層を入れて、差別することで下層であることを受け入れる。これからの階層社会の深刻化を考えれば、政府がそのような考えを持つとしても不思議はない。また、弱まってきている日本の社会がそんな考え方を潜在化させているとしても不思議はない。日本の方角について、国民全体での合意形成の為に国会で議論してもらいたい。日本がどのような国になれば良いかである。自給できる国柄であってほしい。食糧自給は当然である。エネルギーも労働者も自給できる国である。そして目指すは文化国家。学問と芸術の国。美しい田園の国。他国と争はない国。すべての物が循環してゆく国。それぞれに思い描いて見てもらいたいものだ。

 

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