有機市民塾で明治大学の佐倉先生の講義
有機市民塾で明治大学の佐倉先生の講義をしていただけた。諏訪の原圃場も見て頂いて、いろいろ実際の栽培についての指導を頂けた。講義を聞いて学ぶ。そして実践してみる。これが市民塾の理想の形だと考えている。一番印象に残ったのは、有機農業でも肥料をたくさんやれば、良くできる。良くできるけれどもたくさんやってはいけないという言ことだった。一般にその場で良くできていれば、当然素晴らしいと思う。しかし有機農法では今の良さを求めていていては永続性がないと言われていた。大きな循環の世界を見れば、肥料という偏りは考えは捨てなければならない。野山には肥料はない。自然の堆肥はあったとしても肥料という概念そのものがない。3つの佐倉指針がある。1、多様性を尊重する。2、循環する姿を求める。3、は忘れた。有機農法というものが、優れた永続性のある農法であること。今起きている異常気象なども、循環する環境を失いかけているからではなかろうかと。地球環境がおかしくなってきた要因の一つに、近代農業がある。
最初に地球の歴史のことが講義された。近代農業の歴史など高々100年である。人間が登場するはるか昔から、様々な微生物が地球という循環する形を作り出してきた。それを近代農業は肥料という考え方を持ち出し、自然環境をダメにしてきた。微生物の存在を見落としててはならない。近代農業の肥料という考え方は、微生物というものが計算になかったからできた考え方だ。同じころパスツールが微生物の発見をしている。もし土壌微生物という考え方が近代農業に生まれていれば、近代農業の形はかなり変わっていたはずだ。このように言われていた。微生物と共存する栽培法が有機農法である。農業という枠で農薬、化学肥料を取り除くことができないのであれば、せめて家庭菜園では有機農法でやるべきだろう。明治大学では10年以上同じやり方で、継続性のある有機農業を実現している。そしてその実際のやり方を説明頂いた。
先生の言葉の引用、「森林の植物や雑草は人間が何もしなくても育つのに、同じ植物である野菜は人間が過保護にして、植物としての本来の力をそがれてしまっている」。そう考えて、人工的な化学肥料や化学農薬は使いませんが、それは野菜の生命力を引き出すための手段で、目的ではありません。野菜は生命力を引き出すことができれば、あとは自然に育ってくれますから、有機栽培は最も合理的な栽培方法であるとも言えます。営利を求めたり、JAS法の基準に縛られたりする必要がない趣味の家庭菜園こそ、生態系の一員として自然に参加し、おいしい野菜を分けてもらう、本来の有機栽培を楽しみながら実践できる場なのです。」
畑での講義では、草は抜いてはいけない。10センチくらいの高さで刈り取っておくぐらいの状態が良いと言われていた。野菜の畑にはバンカープランツとして、ソルゴーのようなイネ科のバンカープランツが必要だと言われていた。害虫と呼ばれる虫は江戸時代には居なかった。あらゆる虫が存在するという事に意味がある。草食性の虫が害虫と呼ばれ、食害をする。すると肉食性の虫が登場して、その虫を食べてしまう。こうした循環の中に作物を織り込ませてゆくことが有機農業では大切な考え方だと。だから有機農業では多様性が必要だ。何かを淘汰することで、何かを得るのではなく、畑の世界を大きな自然循環の中に入れること。バンカープランツとは、畑の多様性の為に必ず必要なものだ。虫の住処を畑の世界に作る必要がある。
私の有機市民塾の畑は、明らかに見劣りする。見劣りはするが、いくつかの良さがある。間違いなく肥料は最小である。草は基本抜かずに押し倒している。燻炭は良く入れた。草の中に作物がある。それでもそこそこ収穫を頂いている。特にキャベツはできた苗5株とも虫にやられず成長している。トマトの葉色はかなり薄いが、なんとか家で食べるくらいのトマトは収穫できている。さすがにダメなのはナスだ。ナスはひどい状態である。最初は取れたのだが、今は瀕死の状態である。これまでもホウレンソウ、こかぶは立派に収穫が出来た。こうして、12人が並んで同じものを作るというのは実に面白い。それぞれの生き方が、作物に表れている。自学自習である。それぞれに学んでもらえれば、ここがそういう仲間の場になればいいと思う。どこへ向かうかはそれぞれが判断すればいいことではないだろうか。