外国人労働者の受け入れ

   

アベ政権は骨太の政策と名前だけが目立つことを言っている。中身は骨無し政策だ。外国人労働者の受け入れ問題ではこのことが顕著だ。移民受入ではない。家族来日すら許さない。あくまで仮住まいの外国人労働者の受け入れである。10年間どんな職業でも働けるようにするという。その場しのぎの政策である。中身が何も詰められていない。日本という国家が、過去移民という名前の棄民を行ってきたことを忘れてはならない。日本という閉鎖された環境下に長く存在した国の特殊性がまだ残っている。労働者不足に対する、その場しのぎの方針では問題を深刻化するばかりである。農業分野や介護現場や工事現場のような、肉体労働現場を日本人が避けるようになった。仕方がなく、外国人労働者を入れようという事にすぎない。そうしなければもう日本の社会が成り立たなくなっているとすれば、これは屋台骨を揺るがすことになる。

外国人労働者の日本での暮らしという事を真剣に考える必要がある。受け入れる日本社会の問題点のことも考えなければならない。10年間日本に出稼ぎで単身赴任しろと言うのでは、日本の社会がおかしくなる。今よりも長く、技術の身に着いた労働者で穴埋めをしたいという目論み。政策の名にも値しない恥ずべき方針である。ここには生身の人間がいるのだ。日本にずるすると現実に負けた状況が生まれている。30年間の間に外国人労働者は2,5倍に増えて130万人となったという。外国人自体は250万人いるとも言われている。現実に押し流されて様々なごまかしの政策の中で起きた現象である。技能実習生という名前だけで日本にやってきて、農業の現場で働いている。その数が、県によっては農業現場の労働人口の5人に一人という状況。これが働いているのはすべて外国人になると考える必要がある。本来であれば、日本で技術を学んで出身国に戻り生かしてもらうという事が骨太の建前である。一体そうした趣旨に即した研修生はどれだけいただろうか。雇用する方も、来る人の方も出稼ぎ感覚である。

出稼ぎを受け入れるという事も悪いというのではない。10年という歳月はもう出稼ぎでは済まないことになる。研修生という名称で、ごまかしの中で働いてくれている状況も正す必要がある。そして、今度はその実態を10年に引き延ばそうというのであれば、問題はより深刻になるに違いない。10年間という長い年限家族を呼び寄せてはならないという形が許されるのだろうか。働いてもらうものが、ロボットならそれでいいが、人間なのだ。日本に来てもらうのであれば、日本らしいおもてなしが必要である。いつか本国に戻り日本を良い国として思い出してもらう事が、日本という国の平和外交の基盤になる。日本を嫌いになって戻る人が増えれば、日本という国は大きな損出を被ることになる。現在、130万人いるといわれる外国人は日本を好きになってくれているだろうか。私の知る外国人労働者の一人は日本に対してよい思いを持てないようだった。聞いてみると日本人には当たり前のものだというようなことが、どうにも耐えがたいという事がある。特に言葉の壁によって自己表現できないという苦しさに繋がっている。

フランスに暮らした時期を通してフランス嫌いになった。正確に言えば、パリで暮らしたことでフランス嫌いになった。ナンシーにいたころは良かったのだ。パリの国立美術学校は授業料免除で、絵の具やキャンバスの支給まであった。あり得ないような世話になっている。恩恵を頂いたという事はよく分かっている。しかし、差別意識には耐えがたいものを感じた。アジア系の人で日本に来ている人は、差別を感じている人は多いいはずだ。直接そうした声を聴く機会もある。特に若い日本人がやりたがらない、肉体労働を補ってもらっているのだ。それ自体が差別を感じさせるものではないか。日本の社会にきちっと暮らせるようにしなければならない。家族で来たい人は家族で日本に来る。子供を日本で教育を受けさせたいのであれば、日本の学校には行ってもらう。日本がその労働力を必要とするなら、日本人に成れる条件も整える必要がある。日本という社会を外に開くという事だろう。この大切なところを、曖昧にしたまま何が骨太であろうか。

 

 

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