石垣島の穴場、名蔵ダムと田んぼ
今回は名蔵の方の田んぼをあちこち歩いている。ちょうど水を入れて、代掻きが始まっている。土は独特のものだ。何しろ土の中に貝殻がたくさんある。ちょっと癖のある土壌ではなかろうか。田んぼがやってみたくなる。畔にある草も、小田原のものとは全く違う。同じものが一つもないのには驚いた。似ているものもあるのだが、何か大柄であったりして同じとは言い難い。土の色は田んぼによってずいぶん異なるのだが、名蔵の方の土の色は黄土色に灰色を混ぜたようなくすんだ色である。粘土質ではあるのだが、触るとかなり荒い。ただ海岸の近い湿地であるから、水は漏れることは少ないのだろう。去年は水が少ない印象であったが、今年は水が流れ出るほどにある。あたり一帯が田んぼで湖になり始めている。於茂登岳に続いている深い山が背後にある。そこに名蔵ダムがある。そのあたりは台湾の人が入植して、切り開いた地域だ。パイナップルを日本で始めたのは台湾の人だ。多分、おいしい台湾バナナもやったのだろう。しかし定着しなかったようだ。蓬莱米も台湾から来た。台湾の人のことはまた改めて。
田んぼからすぐがジャングルである。太古のままの自然が迫っている。私には恐怖である。大きなヘゴやヤシや巨大なサトイモのような、熱帯の樹木が迫る。松の山であるから、親しみがあるかと思うが、よく見ると琉球松で葉が少しまばらで長い。幹の張り出しがにはマングローブのような羽がある。似てはいるのだが、やはりまったく異なる自然環境である。よく見れば、同じところはむしろ少ない。よく見なければ同じに見ようとするのが人の対応。人間の眼は自分の経験の範囲で理解してみている。見るというのは個々人による。耳だって、英語耳にならなければ、英語は言葉として聞こえない。意味はともかくとして聞き分けることができない。私はフランス語耳にはなっていて、フランス語だということだけはわかる。意味は分からない言葉ばかりだが、聞き分けられていた。眼も石垣眼にならないと石垣の世界は見えない。それでも誰にでも見えてはいるから始末が悪い。見えていることは見えているのだが、それでは絵を描く眼にはなっていない。
田んぼのこともそうだ。農業者にしか見えていない田んぼのことがある。代掻きをしていて、今年は良さそうだと理由なくわかることがある。すこしでも良い田んぼにしようとしてみているからだろう。その場の空気、土壌のにおい、光の反射、わずかな違いが見え始める。それが農業者という者ではないだろうか。昔の農業の集落にはみんなが「キュウリはもう蒔き時ずらけ。」と教えを乞う人がいた。漁師が海の色で春が来たことを知るように、風の匂いで蒔き時を感じるような人がいた。「武やんのまねをしていれば失敗がないじゃん。」私も鶏の気持ちはおおよそわかる。鶏のことなら聞かれても答えられる。稲の顔色も何となく感じる。昨日は田んぼの水を一日描いていた。不思議なものだ。水には色も形もないものだから、つかみどころはない。海や空が描けるように田んぼの水も絵になる。足を入れた時の感触を描くことができる。いや、かもしれないと思いながら描いている。描いているときは何も考えることができないのでそのようだろうとしか言えないが、。昨日描いた絵を前にしてのことだ。
島の暮らしでは水は貴重である。田んぼができるほど水があるのは、八重山諸島である。高い山があるからだ。水不足にならないということがすごいことだと思う。今から40年前に130日くらい雨がないという干ばつで、農業に大きな被害が出た。それで名蔵ダムはできたらしい。名蔵の田んぼの水はいちばん奥に調整池がある。その上に名蔵ダムがある。そこには於茂登神を祭る拝所がある。立派な滝があった。石垣に行った人はここにはお参りした方がいい。飲料水も同じところからくるようだ。田んぼはどうだろうか、200ヘクタールぐらいあるのだろうか。あとは新川付近にも田んぼが50ヘクタールくらいあるのだろうか。そして、白保の方にも20ヘクタールくらいか。平得あたりにも10ヘクタールぐらいだろうか。あとはぽつぽつと点在している。北部にもいくらか田んぼはある。昔はもっとあったらしい。あちこちにすぐにでも田んぼが出来そうな場所もある。しかし、一定の地域がまとまらないと水がうまく行かないのではなかろうか。畑から出た濁った水がそのまま海に流出している。今回は川はきれいだ。しかし、田んぼを土砂の海への流失を防ぐ、沈殿池にする必要がある場所は結構ある。