石垣島の1月
「冠ワシの来る田んぼ」朝7時30分で徐々に明るくなってきた。。 水が入り入り始めている。向かいの小高い丘の方から、水がわき出ている。木は琉球松の大木である。風が強いので大木は珍しいのだが、1メートル近くある木が描いている脇にある。
石垣島の1月は小田原の春。昨日は最低気温で20度で、昼間は24度あった。絵を描いていると暑くてシャツまで脱ぎたくなった。今回は冬を描いてみようと思っている。田んぼはもう水が張られているところがずいぶんとある。田んぼは田植えの準備に入っている。今年の書初めでは春夏秋冬と書いた。一年それぞれの季節の素晴らしさである。今回は設計の事務所と先生と石垣で家を作る打ち合わせもある。石垣設計室さんというところで今設計をお願いしている。石垣設計室さんはオープンシステムという事で家を建ててくれるそうだ。以前、小田原でも試みた、作り手の会と同じやり方のようだ。どんな設計の方なのかもわからないまま進めている。石垣に他に知り合いがいる訳でもない。乗り掛かった舟だから、このまま進めてゆくほかないという心境だ。基本設計は自分でしている。絵が書きやすい場所がほしい。今回は他のことはどうでもいい。がらんとした大きな空間の光の良いアトリエがほしい。
絵を描くのは今のところ田んぼのあたりの車の中だ。戻って絵を並べる場所がアトリエという事になる。後は年を取ってから困らないような家にしたい。小田原で少しオープンシステムと似たシステムにかかわった。設計の人、土木会社、建設業者、大工さん。そして、家を作ろうとしている人。家づくりにかかわる様々な人が、情報を共有化して対等の立場で、家づくりを行おうという考え方だった。ところが、私のような、家をこれから作ろうという人間と、建設側が同じ場には成れないものだと思った。業者と顧客という立場を変えることはできなかった。今回、まさかあの上手くなかなか行かなかった、オープンシステムに石垣島で出会うとは思わなかった。石垣設計室さんがオープンシステムと知っていてお願いしたわけでもない。実際にオープンシステムというものが、石垣でどの段階で機能しているのかも知らない。石垣市で購入した土地のご近所に石垣設計室さんがあった。石垣島は遠いい。家が作られている間、すべてをお任せするしかないので、近くの設計事務所の方が何かと良いだろうと思った程度だ。その後4回ほどお会いして打ち合わせをしている。今度が5回目になる。石垣島の地元の方である。
そもそも、部屋探しから始まったことだった。マンションの部屋で絵の描けるようなところはないかと散々探した。もしあればそれで話は終わっていた。20年くらいは絵を描きたい、描けるかもしれないと思うので、それなら家を建ててしまった方が安いとも思った。何しろ石垣に適当なマンションがなかった。石垣島にもマンションというものはない訳ではない。ある場所が海の近くのどちらかといえば、いわゆるリゾートマンションである。街から少し離れている。歩いて暮らせるような場所にはなかった。歳をとれば歩いて暮らせるところが良い。病院のそばが良い。農協のゆらてーく市場のそばが良い。ファミマがそばにあればなお便利だ。海は見えないでいいので、静かな場所で安全なところが良い。そこで今度はアパートや一軒家を探した。これに1年くらいは費やしたが見つからない。石垣風の家も貸家や売り家でない訳ではないのだが、絵を描く環境とは違う。天井が低いし、部屋がとても暗い。それを直してとも思ったが、直すなら、費用的にも結局新築の方が安いらしいという事になった。
1年ほど前から土地探しの方に方向を変えた。土地はそれなりに売りには出ていた。多くはリゾート地であるが、街場の物件もある程度はあった。希望は街場で歩いて暮らせる場所である。インターネットで探した。見つけてはグーグルで確認した。広い必要はない。庭もいらない。家は空けることが多くんるだろうから、ちょっと奥まっていて、防犯上安全なところが良い。車の出入りは出来ないと困る。80までの10年くらいは石垣なら車の運転もできるであろう。いつも描いている場所まで遠くはない方がいい。田んぼで描かせてもらえれば、あとは家は絵を並べられればいい。土地に方向を変えてから半年ほどで何とか土地は見つかった。桃林寺という臨済宗のお寺のそばである。早朝座禅など開いているようだ。孟母三遷ではないがこの歳になって禅寺のそばというのも何かの因縁であろう。音楽祭も開かれていた。散歩にはなかなか良い場所だった。購入を希望して署名捺印した。どういう訳かまた半年かかった。売主さんは大阪の方で、石垣でお会いして取引をしたとき、両者で何故半年もかかったのかと不動産屋さんに散々口説いた。まあ、今は石垣はそういうのんびりしたところなのだろうと、思っている。