2年後には石垣島へ引っ越します。
石垣島へ引っ越すことを決めた。2年先の予定である。2年も先のことだからどうなるかは分からない所も多々あるが、70歳までは小田原で農業をやり、70歳からは石垣で絵を描くことにしたいと思うのだ。石垣では絵を描くつもりなので、水彩人に関していえば、今と変わらない関係だと思っている。小田原から東京に出かけて行くと同じように、動ける間は石垣から東京に出るつもりでいる。あしがら農の会については石垣から参加できる形は少ないと思うので、出れるのは自給祭と田植えぐらいだろうか。小田原にいたとしても70を過ぎれば身体を使う仕事は難しくなっていると思わなければならない。余り役には立たないかと思っている。引っ越しをする理由はおいおい書くつもりだが、これから引っ越しまでのことを折々記録しておこうと思う。沖縄が好きで通い始めたことはこのブログには時々書いている。養鶏をやめてから、遠くまで旅行ができるようになった。それまでは一日足りとて家を離れることはできなかった。
沖縄には長いこと興味があった。日本人の源流を想像している。沖縄には最初は本島に行った。あちこちグスクを歩いて楽しかった。あの何もないという空間感が、絶妙なのだ。空間に対する畏敬の念を感じた。どこまでも明る空の国。あの空間を自分の身体に降ろしてくるためには、ただ空間を造形するしかない。そのうち宮古島に行き、石垣島へ行き、石垣の田んぼの風景にはまさに出会いというような打たれるものがあった。石垣島を繰り返し描くようになった。石垣島の田んぼの景色に自分のやってきた、作りたい田んぼの姿があった。もう100枚くらいは描いただろうか。石垣の景色の面白さが尽きない。もっともっと描いてみたい。もうこれだけを描いてダメなら明らめられるだろうと、まで考えるようにまでなった。色彩や空気感が面白い。実に惹きつけられるものがある。何か自分のなかにある、絵を描きたくなる何物かが石垣島にはある。
石垣島で描いている内に、自分の絵が少し変わった。一歩進んだような気がしている。絵を描くことがこんなにも楽しいことなのかと思えるようになった。もう石垣で絵を描いているだけで十分であるという気になった。不思議なことだが、そう思い石垣島に通い始めた。石垣島に行くと必ずレンタカーでタントを借りる。タントに乗り移動して車を停めて絵を描く。ただ、ホテルでは絵を描くというのには不都合である。まあまあ使える、長期滞在型のマンションを借りたりしていていた。普通のマンションを改造して大きなワンルームにしてある。壁が8mはある。そこに絵を張り付けて並べていた。石の壁なので、上手く絵が貼れた。それでもさすがに荷物には困った。絵の道具を運んでまたすべて持ち帰る。どこか石垣に置いて帰れないかと、探しては見たが、絵の道具や紙を保管して於けるような場所はなかった。
そこで、部屋を借りようとした。ところがこれはずいぶん探したが、絵を描けるような部屋はまずない。本島ではマンションを借りていて、そこは絵を描くことができる部屋だったのだが、石垣にはそういう部屋がない。本島のマンションを引き払い、石垣にマンションを借りて改造できないかとも考えてみたのだが、これもできないことがわかる。そうこうしている内に、もう石垣に家を作る以外にないという事に成ってしまった。70歳以降の生き方を考えた時にその方がいいと思えるようになった。石垣に暮らしてみない限り分からないだろう。それは山北も、小田原も、暮らしてみてだんだんに居場所が出来た。ただ、暮らす場所を変えることで自分というものも変わる。それはあちこちで暮らして来て良く分かっている。自分の絵に石垣の暮らしが意味あるものになりそうだと今は思っている。具体的にどのように石垣暮らしにたどり着いたのかについては、土地探し、家づくりと、書いて置こうと思う。驚くことばかりであった。思うように進まないことも多くある。でも70歳まではまだ時間があるので、ゆっくりと進めることにする。