はざがけについて
10月2日のはざがけのされた田んぼ
はざがけは竹を組んで行っている。今年もぬかるんだ田んぼで竹の足を立てるのはかなり大変だった。と言っても私はバインダー中心でほとんどやってはいない。竹は腐るので毎年新しく足して行かなければならない。それでも今年も足りないで、急きょ岡本さんの足を借りて、何とかしのいだ。岡本さんには運んできてもらうところまで頼んでしまい、申し訳なかった。倒伏寸前の状態なので、手間のかかる稲刈りだった。それでもなんと30人もの人が参加してくれての稲刈りだから、2日で終わった。はざがけをする理由もいろいろあるが、一番ははざがけの美しさにある。田んぼをやるという事は風景を作るという作業でもある。以前、景観を大切にしろ、という事を神奈川県の方から言われた。その方は田んぼの冬にレンゲや菜の花を植えることを景観と考えていた。そもそも田んぼそのものが日本の景観を作り出している。はざがけの田んぼの美しさこそ、大切にしなければならない景観だと思っている。
はざがけは1年に一度、10日ほどの眺めである。この美しさを味わえるのはここに暮らす人たちだけだと思う。そしてこの、達成感、安堵感、漂う美しさは田んぼを耕作するものだけが知ることだろう。1年の田んぼが終わりを告げようとしているという事だ。よくやったという事と、まだ油断できないというすこしの不安。もうすぐ新米が取れるという希望が具体化された姿だ。田んぼはまだ日本全国にあるが、このはざがけの姿は風前の灯火である。最も農家的には割に合わない作業なのだ。コンバインで刈れば、この作業は無くて済ますことができる。刈って機械乾燥すれば終わる。それでもはざがけをすることには理由がある。お米が美味しいくなる。天日乾燥の干物と、機械乾燥の干物では味が違う。お米は天日で乾燥されている間に、うまみを凝縮している。それは一種の発酵作用なのだろう。太陽と風と時間が作り出す風味である。
一番手前の田んぼは冬水田んぼ。こうして一年中水が湧いてきて、止まらない。白く見えるところで水を抜いて、何とか排水をして稲刈りをした。はざがけの棹は立てられないので、上の田んぼのタテのはざがけが下の田んぼの分だ。これから、白い点に見えるところが排水溝なのだが、ここを閉じればすぐに水が溜まる。はざがけには各地域のやり方があるようだ。地域地域でその土地に合ったやり方が生まれた。それがその地域の景観になったのだろう。南足柄の内山では、地面に直接並べるはざがけ法だったそうだ。これは竹が要らないので楽だが、乾くまで何回も動かさなければならない。この地域のこの景観を守りたいと思う。このはざがけは小田原のはざがけである。小田原では棹は竹なのだ。地域によっては杉丸太を使うところも多いい。足も杉丸太を使う。孟宗竹の細いやつが一番良いとされている。しかしそんなものはまずないので、真竹を使っている。この美しさが地域の愛着の一つになってほしい。
はざがけが終わってからは雨と風が心配だ。特に台風が来ればこれがすべて倒される。雨の重さで竹が折れることもある。あと1週間の祈りである。