象徴天皇の意味を考える
具体的な形で言えば象徴天皇とはこういうものではないか。
天皇自身が象徴の意味を提議した。日本国国家統合の象徴としての天皇の意味が明確ではない。象徴天皇については議論がなされない。学者の発言も明確ではない。平成天皇が象徴天皇の役割を具体的に述べた。かなり突っ込んだ見解だと思った。今まで看過してきた、政府も国民の一人としての私も、余りに迂闊ではなかろうか。政治も国民も象徴天皇について、考えてみる必要がある。このことは過去4回書いた。読み返してはいないが、同じことを書いているのだろう。また繰り返しを書くことになるかもしれないが、天皇の退位だけが議論され、象徴天皇の役割が少しも議論が広がらないのは何故なのだろう。天皇が退位したいと暗に示したのは、象徴天皇の役割が、老齢になり果たせないと考えたからだと発言している。それなら象徴天皇の役割を軽減したらどうかという意見があった。中には天皇が勝手に象徴天皇を拡大解釈したのだから、本来に戻せばいいという意見もあった。「天皇にはそのお役割の重要性とともに、その大前提として神話に由来し、初代の神武天皇以来、一貫して男系の血だけで継承されてきたという、他に代わる者がいない存在の尊さがある。」ーーー八木修次氏というような血統的価値論はあった。まさかこの時代に血統で日本統合の象徴とは言えないだろう。
そこでせめて一般国民としての象徴天皇の意味を考えて見たい。象徴天皇とは日本人と日本国の総体の象徴なのであろう。日本人であるという事の象徴。日本字であるとは日本の文化を体現している人を表しているのではなかろうか。江戸時代の天皇は特にそうであった。日本文化の総元締めのような立ち位置が、日本統合の象徴という事にしたらどうだろうか。昭和天皇も、平成天皇もそういう行動をしてきたと思う。しかし、国民は何故、天皇が全国を回り、様々な式典に参列し、災害地や海外戦没者の慰霊をしているのか、もう一つ良く理解していなかったのではないか。もちろん、その活動を平和活動なのだとか、天皇主義の復活なのだとか、様々な自分に都合の良い解釈はされてきた。しかし、象徴という事の意味に直接切り込む論議は、一般化していない。日本人とは何かという事が分からなければ、その憲法で示す日本統合の象徴という意味はどこまで考えても明確にならないだろう。明治政府を絶対とする者にとっての象徴は、軍国主義の軍神のようなイメージになってしまうのだろう。
稲作農民として生きたい私にしてみると、天皇は稲作神社の神主さんというイメージで在ってほしい。今年の豊年を祈る神主さんである。舟原の熊野神社に見える神主さんが普通の人間であるのはよく分かっている。神社で祝詞を上げるときだけ神様が降りてきている人という解釈。降りてこないとしても、一応降りてきたという事にして、神事を取り行う人。それは仏教以前から一貫して存在した、日本の原始宗教とも繋がっている祭礼なのだろう。日本は珍しく、そうした原始性を残したまま、ヨーロッパから来た近代という時代に遭遇した。しかも、そのヨーロッパの科学の世界を十分に理解できる、知性的論理的な思考も日本的に育むことが出来ていた。原始性を保ったまま、近代化の道を歩んだ民族である。ここを明治帝国主義が、天皇の存在の意義を日本帝国を作るために捻じ曲げてゆく。それまでの時代、天皇さんだったものを皇帝として神格化してしまった。
象徴天皇を考える上で、この明治の天皇制の特殊性を引きずってはならない。あれはあくまで、脱亜入欧のゆがんだ思想の一時代のものに過ぎない。むしろ、昭和天皇と、平成天皇が行為で示した、象徴としての意味を考え直してみることから、始めるしかないのではないか。いまさら日本部落の稲作神社の神主さんになってもらいたいと言っても、それは無理だろう。稲作文化自体が、失われつつある。日本文化の象徴になる以外にない。繰り返し日本文化というものを見直してゆく時の象徴である。日本の芸術、文化、学術、神事。さらに暮らし方。日本文化というものを考えた時、明確に存在が見えることは悪いことではない。私が日本という出自にこだわるのは、優れて土着的なるものが、国際的だと考えているからだ。天皇は歌会始で和歌を作り公表している。なるほど天皇の文化性はこういものかとわかる。天皇が絵を描けば、私にはその文化性が分かるだろう。それでいいのだと思う。その落ち着くべきところに落ち着けば、無理が無くなる。