アベ政権の限度の超え方
アベ政権はやりたい放題になってしまった。それを受け入れる国民なのだから当然である。言いなりの公明党と、媚びを売る維新の会を従えて、何も怖いものがないかのようである。独裁政権というのはこういうことになる。共謀罪のことなどまともな議論も行われていない。初めから結論ありきで、一応の通過儀礼のように国会審議が進められただけである。根拠となるテロ対策の国際法加盟に、共謀罪が必要なのか不要なのか議論がなされていない。この間、存在した森友事件や加計事件はまるでなかったのように、共謀罪が進められ、前例のないような強引な国会運営で決められた。独裁政治を受け入れた国の危険が現実化してきている、国民がどう判断するかである。明日は我が身である。ソフト独裁は、国民の顔色を判断している。印象政治である。印象操作だと叫び続けた安倍氏の本音は、国民を印象操作しようとしている裏返しの叫びだ。ソフト独裁は印象独裁だ。印象の見栄えの為には、演出に従い台詞の嘘を平然と言い放つ。
印象政治は印象の潮目がある。人気役者でもある日突然見向きもされなくなることがある。印象と実力は違う。共謀罪がきちっと議論され、必要なものであれば有効になる。法律ができたとしてもその運用は時の政権が行う事になる。新政権が取り締まるつもりだった自民党を共謀罪で取り締まるようなことだってありうるのだ。悪い法律は早く廃棄する以外にない。前川元事務次官に対する読売新聞のスキャンダル報道をよくよく考えておかなければならない。誰かが監視しているのである。監視社会の裏付けになる法律が共謀罪である。監視を隠れてやるか、合法的にやるかの違いだ。意にそぐわない人間をこういう形で抹殺しようとするのだ。その事実や細部は私にはわからないが、ともかく反政府的な言動をすると、新聞社がこういう記事を流すのだ。これは大本営発表以上にソフト独裁政治の本質を表している。この事実を見て、怖くて黙る人が自民党内にもいるだろう。文部省の義家副大臣は省内の情報を漏らした人間は、公務員の守秘義務違反で逮捕されるとまで国会で発言した。とんでもない国民の利益に反する発言だ。機密文章ではない。むしろ特区の選定に関して国民にすべてを公表すべき種類の文章である。義家氏をむしろ、恐喝罪かパワハラで告訴すべきだ。
文部省で共有化されていた文章を、出ろころ不明の怪文章と決めつけてもみ消そうとした。菅官房長官は、匿名の内部告発者に対して、名前を出して発言するなら取り合ってやると脅した。守秘義務違反と脅され、正義の為なら名乗り出ろという姿が、まさにソフト独裁の本質なのだ。官僚に対するパワーハラスメントではないか。名乗り出た前事務次官は、スキャンダル情報が読売新聞に掲載されたのだ。このがんじがらめの公務員の姿こそ、これからの日本人全体に及んで来る監視社会としなければならない。私など取るに足らない人間だから無視されているのだろうが、以前要注意人物として、警察の監視を受けていたことがある。たぶん私の個人情報など、データーベースに残っているに違いない。小物で良かったようなものだが、共謀罪で大っぴらに調査を受けることになると、さすがに周りの人にまで迷惑がかかる。そうして活動力を抑えることができることになる。
それでも国民の半数がアベ政権支持を変えない。独裁政治であろうとなかろうと、自分には関係がないと思っているのだ。ソフト独裁の怖いのは、真綿首で絞めつけられているので、気づかないうちに支配されていることだ。国民が全体が、お上に対して忖度することになる。議員の先生に逆らわない方が得策だ。このような感覚が社会に蔓延して、自らの首を差し出すことになる。経済さえ何とか乗り切ってくれれば、後のことなど関係ない。というのが今の苦しい日本人の意識なのではなかろうか。格差社会の方が独裁を求めるのだ。しかし、さして根拠のない安倍政権支持だから、潮目が変われば手の平を返すだけだろう。思想や論理性は関係がない。あくまで印象操作なのだ。野党は政府の政策に対して、論理で立ち向かうが無駄なことだ。そんなことでは印象操作に立ち向かえない。家計、森友でもダメなのだから、国民を意識した戦い方が必要なのだろう。緑のおばさんの都知事を見習う必要がある。