靖国参拝と従軍慰安婦像
また、日本の防衛大臣が靖国神社に参拝した。理由は総理大臣になりたいからである。靖国を参拝する人を総理大臣に押すという、暗黒の力学が日本の保守政治に存在する。そもそも稲田氏が防衛大臣という事がそういう背景の存在を感じさせる。アベ政治の黒幕の作った台本の存在。裏返しとして誰にも分る図式が、韓国の従軍慰安婦像である。日本人には理解しがたいところがあるが、従軍慰安婦を蒸し返す意味を推進している何者かの存在が韓国の底流にある。両国の棘である。軍人の祭られた靖国神社に、防衛大臣が参拝し、総理大臣は真珠湾で謝罪する。オバマの広島訪問と同じで、謝罪だと受け取る。宗教的信条で靖国神社に参拝したいと思えば、家で神棚でも参拝していればいい。もし靖国の御霊が本当の神であるなら、家で参拝しても、その誠を理解するはずである。しかし、パフォーマンスとして靖国神社に行かなければ、政治的な効果がない。時代錯誤の政治家表現の醜悪さを思う。
ある一群の韓国人は従軍慰安婦像を作ると清々するのであろう。日本人の反論できない性奴隷という醜悪さを、裏返しの靖国参拝と同じ醜悪さを見せつけれるからである。日本では総理大臣になりたいと靖国参拝の義務がある。近隣諸国の嫌がるので効果が高いと判断する。靖国神社に行けば、軍国主義復活と報道され、近隣諸国に攻撃ができるのだ。従軍慰安婦像を世界中に立てている姿は醜い。醜いだけに効果が高い。しかし、こういう行為を止められない国家というものは尊敬されないだろう。靖国に参拝する姿は、右翼的であり、ヒットラー的な醜悪さがある。しかし、醜悪なだけに宣伝効果が高い。政治家としての自分が右翼的人間であり、自分の行動を止められる人間はいないというような、筋を通す人間であるところが見せられる。あの、オスプレー墜落の記者会見のオロオロした態度を取り返そうとしている。靖国神社へ行けず、国会で泣いた姿を取り消してもらう行為だ。
靖国を参拝する人たちを、支持する創価学会という宗教団体は不思議な存在だ。ずいぶん計算高い、打算的な集団である。教団の安全と利益を図るためには、神仏混交という事なのだろう。日本の宗教というのは実にご都合主義である。これこそ日本人の姿なのだ。イスラム教では考えられないことだろう。韓国の従軍慰安婦像もそうだ。大した問題ではないと大半の韓国人は考えている。しかし、心理的な効果が高い。日本人を牛音も言わせず、抑え込める。溜飲が下がる。上手いものを見つけたものだ。靖国神社も同じである。建前は戦没者の慰霊である。国のために死んだ人に感謝するのは当然である。これを批判することは誰にもできない。日本人も強いのだぞ。いつまでも我慢ばかりしていると思うなよ。こういう脅し的効果が高いものである。両国のこういうバカな行動がいつかは火が上がることになる。相手を慮らない、踏み絵遊びが遊びでなくなる時が来る。
人が嫌がることはしてはならない。それが人の道である。性奴隷を行ったことは人に道に外れる。しかし、それを何度誤っても許さず、世界中に慰安婦像を作る行為も褒められたものではない。犯罪者に烙印を押して、差別を続けることは許されない。それが和解である。靖国神社に参拝することは、人の嫌がることだ。嫌がる靖国参拝を繰り返すことは人の道に外れる。日本の軍国主義の聖地が靖国神社である。それ故に、戦没者霊園を作ることが出来ない。外国の要人も戦没者を慰霊できるような施設でなければ、戦没者も浮かばれない。真珠湾での安倍演説の和解と寛容が本音であるなら、あそこでの不戦の誓いが本音であるなら、靖国神社参拝を止めるべきだ。本来行わなければならない和解は、アジアの近隣諸国に対する加害責任である。ところが総理大臣が真珠湾に行った見返りが防衛大臣の靖国参拝である。これがアベ木偶の棒劇団の演目である。