舟原溜池の整備
舟原溜池の整備が一気に進んだ。田中康介さんが4日間ユンボで泥上げの工事をしてくれた。周辺の木は森谷さんを中心にしてに片づけをしてくれた。舟原に引っ越して来た時からの念願がやっとかなったことになった。あの鬱蒼とした昼なお暗い沼地のような場所が、晴れ晴れとした明るい場所に生まれ変わった。その昔は地域の子供たちが泳いだという池の様子がよみがえってくる。もう出来ないのではないかと諦めかかっていたことなので、望外の喜びがある。工事の記録として、完成写真を掲載しておく。今後の整備の方向をまとめてみる。今は水が抜かれているが、状況が整い次第水位を上げることになる。
1、溜池の境界査定を小田原市が行う。
2、小田原市と舟原自治会に現況報告を行う。
3、下田さんの上部の田んぼ2つを復田する。下田さんが行う事だが、溜池管理のこともあるので協力してゆく。
4、中山間地の補助事業に下田さんの田んぼが含まれるように努力する。
5、舟原溜池を農業遺構として、残せるように看板の設置など小田原市への要望を進める。
6、舟原溜池の今後の管理体制を、小田原市と美しい久野里地里山協議会において検討する。
水がある風景は素晴らしいものがある。今回、田んぼと溜池とそこへの水路が出来たことによって、小田原で一番見ごたえのある場所が再生されたと言っても過言でない。この事業こそ里地里山の再生の意味を表していると思う。美しい農業とはどのようなものであるかが、舟原溜池の維持によって見えてくる可能性がある。この溜池が養魚場になっても良いはずである。農業遺構であるという事はそういう事ではないだろうか。ただの環境再生で、ビオトープ的なものであれば、永遠にボランティアによる維持という事になる。善意による維持管理には限界を感じる。それが養魚事業を伴う事になれば、経済活動を伴いその景観維持が可能になる。農業遺構とはあくまで農業という生業を表す物であるはずだろう。だから、溜池が養魚場であっても何ら問題が兄は図である。このあたりは今後の課題である。検討する価値がある発想ではないだろうか。
近い将来に、小田原の水田そのものが農業遺構になることだろう。それは個々の農家の努力ではどうにもならないことに思える。そうした地域の変貌の中で、どのように里地里山を残してゆく意義があるのか。その社会的価値がどこにあるのかを検証してゆく必要がある。現状では都市住民の為の自然公園を提供してゆくという事を神奈川県は考えている。言い換えれば環境保全を計るというのが、行政的観点ではないだろうか。本来であれば、この地域に農業が残ることが里地里山の保全である。農業が失われて、その景観だけが残されるのであれば、中身のない形だけの保全という事になる。それでは公園整備事業を、地域の住民が協力するというような活動になる。私の考える里地里山の重要性は、瑞穂の国に暮らす、日本人の基本的姿が残されているからである。その暮らしの姿から、忘れてはならない美しい国日本の方向性が見えるからである。経済合理性の中で里地里山を問い直せないだろうか。溜池は経済から見たら、養魚池というのもある。
久野川に漁業組合を作り、魚の環境を守り育てようという考え方が、美しい久野里地里山協議会にはある。その意味で、溜池もその枠内で考えられるはずだ。希少動植物を保存するという発想から、むしろ里山の環境を経済活動の中に組み込んで、環境維持を図る必要があるのではないだろうか。良い事例として久野川上流部には峰自然園がある。現在、その周辺の河岸を里地里山協議会によって整備が進められている。河岸を自然景観に戻そうという活動である。河岸の山林を所有する地主さんの理解を得て、散策道が整備されてきている。久野川が美しい川になることによって、峰自然園に来る人も楽しみが増えるはずだ。多くの人が訪れ楽しんでくれることで、久野川の美しさが認知されてゆく。同時に地域の暮らしの環境的豊かさが高まり、久野地域全体の住環境的価値が向上するだろう。東京近郊の自然豊かな里地里山景観の残る場所として、新たな農家レストラン的経済活動も生まれてくるはずだ。
溜池上部から下の方を見たところ。
上に新しく作らている2か所の田んぼ。
下側から明神岳を見える場所。
上側から見た溜池
溜池の中にできた水路。
溜池の様子、右側にあるのがガマの穂、手前が土を寄せた部分。
溜池の様子。いくらか縁に木が残されている。
溜池の堤防側から、上部を見たところ。
溜池の外側の排水部分。