万引き取違事件
広島市の中学3年生が、万引きをしたという人違いの記録によって自殺をした。昨年の12月のことだという。全く辛い悲しい話だ。耐えがたいものがある。万引きという冤罪を押し付けられた悲しみはどれほどのものであっただろうか。万引きを高校への推薦が出来ない理由として、3者面談で親に告げるという事で自殺に至ったのではなかろうか。この事件は2つの問題がある。中学一年生の時の万引きの罪が、私立高校へ推薦できない原因になっているという事が1点。この生徒は万引きをするような子供でなかった。3年間の教育という事を考えていない。想像されることは、担任とこの生徒は波長が合わなかった。担任は独裁者として一人の子供の未来を決めたのだ。聞く耳のない独裁人間はどこにでもいる。その一人の思い込み人間の判断で、進路が決められている。中学校が自らの教育の効果を認めていない。そもそも生徒の人格に無関心なのだ。中一の時の1回の万引き記録で高校進学の推薦が拒否された。
この事件は万引きの人違いという杜撰な書類づくりに始まっている。生徒指導の教師がいい加減な人間であった。補導の記録で人違いをして、指摘されても訂正を忘れるなど、教育者として失格である。一人の人間の尊厳にかかわる問題に関心のない人間である。言い訳のできない重大な過失である。多分その自覚が今もないだろう。記録というものが表面化したときに、どれほど生徒を傷つけるかに思いが至らない人間。いい加減な人間に大事な子供の生涯を左右されたことがつらい。全国で低級な人間が教員を続けていて、他にも苦しい思い、悲しいことが繰り返されているに違いない。改善されないどころか、状況はさらに悪化していると見た方が良い。指導自殺が平成に入って62件あったと報道されている。防げることに対応をしない社会。心の失われた教育の蔓延。
悪質な教師を排除することができない現実。学校における情報の管理のシステムが出来ていない。人間に間違いはある。間違いを最小限にする管理システムの問題である。どこかで修正が利くようにしておかなくてはならない。中学3年の担任教師がパソコン上の記録を見て、君には中一の時の万引きの汚点があるから、推薦できないと本人に告げた。本人が否定しなかったと担任は主張しているらしい。担任に逆らうことができない生徒の気持ちがあったかもしれない。進路指導という権力者がゆがんだ個人である現実。複数の人間が注意深く当たる仕組みにしておかなければならない。担任及び学年主任が、2人で進路指導に当たれば、間違えは防げた可能性が高い。さすがにどちらかの人間が、この記録を作った教師に確認することに思い至っただろう。一人の教師では、折り合いが悪いとか、思い込みとか、問題が起こりがちなものだ。
担任と生徒の関係は密室になりやすい。そして弱い立場の生徒が軽視され、被害者になる可能性が高い。波長が合わないだけで、人権侵害が起こるのだ。教師の不正義を許さなかった私にはそういう経験がよくあった。万引きの濡れ衣を着せられて、言い訳も無視されて、辛かったことだろう。悲しかったことだろう。担任してみれば、まさかこんなに大事な記録が間違いのまま放置されているとは思わなかった。記録した教師はこの記録が生徒の進路指導につながるとは思わなかった。学校教育というものが、教師という優れたはずの人間個人にに任されている部分が多すぎる。教師にも間違いはあるという前提で組織作りをしなければならない。複数の教師で進路指導に当たっていれば、何かおかしいという事に気づく可能性が高った。担任も、生徒と二人の密室という関係でなければ、もう少し注意深く資料に当たったはずだ。