憲法論議を国会で
安倍氏は憲法の改正論議を行おうと国会で野党に呼び掛けた。しかも憲法9条の改定を参議院選のテーマにしたいとまで述べた。立派なことだ。これほど大切なことだから、国会で何度でも議論し問題を煮詰めてもらいたい。そのことを総理大臣として発言するのだから、正しい姿勢である。憲法論議を聖域として議論しない等という事はあってはならないことだ。前回の国会では十分な議論のないまま安保法案が成立してしまった。ここでは集団的自衛権について大きな踏み込みがあった。憲法違反ではないかという憲法学者の批判が沸騰したが、まともに憲法9条については議論せず、解釈の変更だけであった。法律の憲法違反は今となっては最高裁で判断すべき内容であるが、日本では憲法裁判所というものがない。最高裁が対象にするような内容でないと避けることになるのではないだろうか。それは、やがて結果が出ることである。
そうした前国会を踏まえ、総理大臣が自ら憲法について議論しようと呼び掛けたことは正しい発言である。安倍氏が肉声を取り戻したのかと、見直したいくらいだった。ところが、具体的に9条について議論しようとして、民主党から自民党憲法草案の条項を取り上げると、なんとこの場では個々の条項については議論しないと逃げてしまったのだ。また長台詞を語るだろうと思ったのだが。何が起きたのだろうかとびっくりしてしまった。国会で議論を呼び掛けた張本人がいざとなったら逃げてしまうことに理由は考えにくい。この人はこうして前言を翻す時にでも、大根役者のセリフのようにただ平然としゃべるので、下手な腹話術のように聞こえ始める。国会のどこで議論しろというのだろうか。議論してはいけないと指導する演出者グループがいる。挑発だけしておけば選挙では意味があると考えている。憲法を改定するという勇ましいところは見せなければならないが、具体的な議論に入るのはまずい。
国会こそ憲法の改定の判断をする参議院選挙を前にして、議論をする最もふさわしい場であろう。しかもつい先日、自ら憲法を議論しようと呼び掛けたのではなかったのか。こういう自己矛盾に、安倍木偶人形の姿が露骨になる。最近肉声が混ざってくるから、台詞が混戦して、訳が分からないことになる。日本の総理大臣がこんなことでいいのだろうか。憲法論議において、自衛隊が憲法違反とする学者が多いというアンケートが出た。私も自衛隊は違憲の存在だと考えている。装備に於いて防衛的な武器に限定されていない。警察予備隊に戻すべきだと考えている。そして日常的には災害救助を主目的にする。害獣駆除なども受け持ってもらう。海外での大災害にはすぐに緊急援助に向かう組織にする。出来るだけ何処の国でも、日本の災害救助なら受け入れるというようなものを目指す。
安倍氏には安倍氏の憲法解釈や、強い軍隊にするべきという考えがあるはずである。それを取り上げて議論しなければ、憲法改定の是非など選挙で問えるはずがない。議論しなければ、何処をどう変えたいのかがわからないはずだ。その一つの材料が自民党の憲法草案である。このように変えたいという政府の材料として受け止めてもいいのだろう。お国の為を復活させようという思想に基づいている。私には明治の帝国憲法より、人権がないがしろにされているように読める。この憲法草案こそ鵺の正体である。昔は良かったという実に後ろ向きな懐古趣味の様な草案だと読める。いまだにこんな人たちがいて、自民党を形成しているのかと思うと、日本の未来の暗さを感じる。是非とも、新しく選挙区権を獲得する18歳19歳という若い人たちは、まず、選挙に行く前に日本国憲法を読む必要がある。そして自民党憲法草案を読んで、日本の未来をよくする政党を判断して、投票してもらいたい。