大豆の栽培、叢生栽培

      2016/04/05

家の大豆畑 わずか濃い筋が大豆。分からないかもしれないぐらいの状態。

ここまでが家の大豆。

以下、大豆の会の畑

上のほうの草だらけの畑が家の大豆畑である。こんなに違うのが毎年のことである。何故、こんなことになっているのかと言えば、実験が好きなのだ。何かを想定して栽培して眺めているのが一番楽しい。まるで子供のころ海に連れて行ってもらえた日のような喜びがわいてくる。毎日の変化を見ているのが、一番面白い。そして、叢生栽培でうまくいった時の喜びは大きい。そのために、失敗しても失敗しても少しづつ変えて、挑戦してみる。草があるほうが好きなのだが、それで収穫をできるところまで、手間をかけずに持ってゆけるかである。たいていの場合は、草を出さないようにしたほうが楽だったというくらいになってしまう。

農の会の畑は、失敗するわけにはいかないので、一番確実なところで進めている。もちろんみんなの畑だから、みんなで相談の上草を取る農法になっている。大豆の会では、苗づくりで工夫する岩澤方式を工夫を重ねながらやってみた。結論としては肥料の問題で有機農業では難しすぎるということで、ついに今年から辞めた。大豆は反収で300キロは取っているから、悪くはない。徹底した管理の結果良くなってきたのだ。かかしがいるのが大豆の会の草取り前で、その下が草取り後である。

家の畑のほうは、かろうじて筋で見えているのが、大豆である。同じ日に、同じ種まき機で同じ種をまいた。その後の成長はほぼ同じである。いや、よく目と言えるだろうが、家のほうの大豆のほうが、現状ではいいのかもしれない。草があっても今のところ大豆は普通に成長している。畑の土壌がほぼ完成しているということが大きい。6年前私の畑になったときは、まるで砂漠であった。その数年前までは、見事な販売用の野菜が取れていた農家自慢の野菜畑であった。使ってみて、これは工場栽培だと思った。土は物理的に土であるが、作物をはぐくむというものでなく、化学肥料を吸い込ませる培地のようなものである。その後堆肥を繰り返し入れ、緑肥を育て、やっと自然農法で使える土壌になってきたところである。悪い草もさして生えなくなってきた。

どちらの畑も、麦と大豆の裏表栽培で連作である。麦はまだ収量が低い。つまり、大豆は肥料が少なくていいということが、結果として出てきた。麦は肥料で取る作物のようだ。有機栽培で必要な分の肥料を入れるのは、大変なことになる。もちろん購入の肥料を使えば、違うのだろうが、それでは自給から外れる。家のほうでの麦は収量がいい。それは畑の土壌ができているからで、同じくらいの堆肥を入れたとしても、収量は違うのだと思う。つまり草があっても土壌ができていて、肥料が十分あれば、そこそこ行くということになる。大豆の会の畑は、以前みかん畑で、今年で4年目になるのだと思う。元果樹畑というのは、土壌が悪い。何か偏っているような感じだ。それでも今年はだいぶ土壌が良くなってきている感じがする。それなら叢生にしたっていいだろうとはいかない。

叢生ではまだコントロールを超えるリスクが高すぎる。家の畑の実験なら、どんな冒険でもできるが、みんなの自給がかかっている場合、確実に取らなければならない。収穫がなければ、味噌も醤油も一年ないことになる。自給というのは、そういう厳しさもある。牧歌的なものでもないし、営業農家のように、今年勝負をかけて採れなければ出稼ぎに行けばいいというような、ものでもない。自分の場合、もしお米が採れなければ食べないというような覚悟で作っている。そうしたぎりぎりの気持ちで作るのでなければ、自給農業は面白くならない。大豆は水分である。特に花の咲くころ、土壌に水分があるかないかで収量が決まる。このときに草があることが良く作用することもある。悪かったこともある。

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