自民党の本質
自民党には、自民党憲法草案と言うものがある。これは自民党議員の本音と野望の産物である。それは、戦前から続く日本の保守的階層と、現代の利権的集団との野合の産物である。その最後のあがきが安倍氏の登場と考えると、理解できるものがある。もうしばらくの我慢である。後30年、日本国憲法の改定を行わせないことである。現行憲法に改定すべき要素や、現実とのかい離があるとしても、100年間は温存して、次の時代の人達で、日本の未来を見据えて、新たな憲法を考えれば良い。確かに憲法9条や、憲法前文にある、軍事力によらない平和は現実には有名無実のものとなっている。軍隊もあるし、海外派兵すら行ってきた。既に憲法が歯止めにすらなっていないように見える。憲法があってこの事態である。もしなかったらと考えたら怖くなる。平和憲法があるがゆえに、卑怯な国と一部の国に見られたかもしれないが、何とか軍事力の直接行使をせずに来る事が出来た。
自民党憲法は、憲法を国民の有り方を定めるものにしようとしている。ここに、平和主義の後退以上の問題がある。自民党は日本を国家主義的な政治体制にすることを望んでいる。国民の無制限の自由を問題視している訳だ。具体的に言えば、中国やロシアの様な国でありたいと考えている。確かに、中国やロシアも、一応は民主主義国家という体裁は取っているが、実際の所は国民に本当の自由は無い。建前だけの議会制民主主義。自民党憲法はそうした国を目指している。それは、自民党憲法を読んでみると分かる事である。だからこそ、自民党は憲法を変えることを目標に掲げているのだろう。国民の為ではなく、国家を優先した憲法改定をもくろんでいる。自民党議員があの憲法草案に同意しているとすれば、自民党員は自由な未来社会への期待を持つ事のできない。民主主義への志を失った人々と言う事になる。
安倍氏が総理大臣である以上、自民党によって無理強情な憲法解釈が続くであろう。近隣諸国との軋轢はさらに高められるだろう。敗戦の結果アメリカに押し付けられたという、情けない歴史を蒸し返す事だろう。それでもこの憲法を維持した方が賢明な選択である。もし、安倍政権が憲法改正に成功したときを想像して見る。教育が大きく変わる事になる。国民学校になるのだろう。既に教育は代えられ始めているが、国家的な人材育成の明治の教育のように変わってゆく。自由より、義務と言う事になる。能力主義が徹底される国になるのだろう。韓国が国際競争力を重視し過ぎたために、過度な格差と、貧困な社会に変わり始めた。日本も競争だけに視野を狭めた、つまらない実学の国になりかねない。日本と言う国の価値は、豊かな自然環境から生まれた、奥深い文化を持つ国である。日本の絵画のレベルを考えれば、江戸時代までは世界の最高水準である。明治以降アニメで自慢している程度である。
理屈抜きで、30年平和憲法で粘ることである。確かに妥協主義で、憲法がどれほどか歪められながらやってきたのだ。日本国憲の改定は30年後のに100年を迎える。それまでは、少々現実離れしているかもしれないが、これでやってみる事が一番無難である。自民党の最近の考えでは、誰でもがここは変えた方がいい。あるいは、こんな事は憲法に加えた方がいいという改定をまず提案する様だ。そして、憲法改定に抵抗感が無くなった所で、自民党憲法草案全体を出すという、作戦のようだ。自民党憲法に今すぐなった方がいいか。あるいは、30年待つか。どちらの選択が日本にとって安全であるかの選択である。間違いなく、ぐずぐずと30年妥協的に行く選択である。この現実離れしたような、日本の100年憲法の選択が、いかに巧みな外交戦略かが分かる事になるにちがいない。中国は巨大になり、あるいは大きな崩壊を迎え、東アジアに大きな緊張を産む事だろう。その大波を乗り切るためには、100年憲法の選択がいいのだ。