三線を始めて一ヶ月
65の手習いで三線を始めたが、面白くて熱中している。1ヶ月なりの進歩があった。出来れば動画で記録しておきたいのだが、まだ動画のやり方が分からない。三線には工工四と言う三線用の楽譜があって、これに相当に困難であった。縦書きの漢字の楽譜と言うのが、どうにも意味不明である。合・乙・老・四・上・中・尺・工・五・六・七・八と言う風に音階になっている。つい尺はシの音だという具合に、翻訳してしまう。5線譜で考えるように頭が出来ている。5線譜はやはり良く出来ている。音楽のイメージが視覚的楽譜で表現されている。視覚的にも音楽がなんとなく想像がつく。知らない曲でも、5線譜を見てその上がり下がりで何とか歌う事が出来る。多分小学校の教育の成果だろう。音楽の成績はいつも3だが、好きな方だったと思う。沖縄には小学校に三線クラブがあるらしい。すごいテクニックを保持する小学生もいると言う話だ。かじやで風を小学生が演奏していた姿には感動ものだった。
沖縄には三線教室も沢山あるらしい。勿論小田原にもある。行ってみたい気持ちはあるのだが、楽にやりたいという気持ちがあって、行かない。どうもこの三線教室と言うものは、丸で沖縄的でなく、結構厳しいと聞いているからだ。それじゃ沖縄的じゃない気がするのだが。ていげーの世界とは程遠いいと聞いた。まず、姿勢とか、持ち方とかに、相当にうるさいらしい。先日行った沖縄のホテルには、60分1500円の誰でも一曲弾けるようになる、楽しくなかったらお代はいただきません三線教室があった。時間があれば、「満月の夕」を習いたかったのだが。ちょっとためらって無理だった。無理をしてもと言うには、どうも座っている先生が苦虫をつぶした人で、とても「満月の夕」をお願いします、とは言えない雰囲気で、「かじやで風」というのもあまりにそれっぽいし、無理で来なかった。カチャーシー教室があれば無理をしても良かったのだが。
自分の工工四楽譜を作ってみた。本に出ているのでは歌詞と連動していないので、何処だかすぐ分からなくなるのだ。老眼でも見えるようにA4いっぱいに線を弾いて、その中にお経のような漢字をずらずら写した。今度は歌詞を入れようとして、今のところ挫折している。どこがどこだかわからなくなってしまったのだ。また、分からないお経に、意味不明の琉球言葉のルビをふろうと言うのだから、完全にごちゃごちゃになってしまった。しかし、この方法しかないようだ。そして、2ヶ月経った頃には、「満月の夕」を唄えるというのが目標である。そして4月には、「辺野古節」が目標である。辺野古節の楽譜を探すというのがまた難しい。いずれもソウル・フラワー・モノノケ・サミットの曲である。突然、好きな曲になったのだ。この2曲はリーダーの中川敬氏が、現場で即興で作り上げた曲らしい。いずれもチンドン音楽との融合という庶民性が格別にいい。
まあ、超初心者でありながら、こうして目標だけは高い。65の手習いで、どこまでできるものか、自分を試してみたい気持ちがある。いつか、いつか秦野のチンドングループとアシガラ・モノノケ・サミットで練り歩きたいぐらいの野望がある。沖縄は日本のふるさとだ。沖縄には昔の日本人の感じが残っている。ただ残ったのではなく、残す事を大切にする文化なのだ。三線が中国から伝わったそのままの形で残される。そして島々にある膨大な唄を奏でるようになる。唄は文字の無い時代の、暮らしの歴史である。歴史であるから、出来る限り変えないように伝えてきたのだろう。だから、縄文人の空気まで沖縄には感じられる。いつかは大島紬か、宮古上布の着物を着て、三線を弾く。超初心者の寝言である。