DASH村の三瓶氏が亡くなられた。
紀伊半島 10号 山に守られたような港町。山の懐。港を見下ろす山には必ず海の神が祭られている。そして、のろしを上げるような場所がある。
三瓶明雄さん(さんぺい・あきお=農業)が6日、福島県伊達市内の病院で死去、84歳。通夜は9日午後6時から、葬儀は10日正午から福島市泉下鎌15の1のさがみ福島ホールで。
日本テレビ系のバラエティー番組「ザ!鉄腕!DASH!!」で、アイドルグループTOKIOが同県浪江町で農作業などをする人気企画「DASH村」に出演。メンバーに農作業の指導をしていた。
朝日新聞
ダッシュ村の指導者の三瓶明雄さんが亡くなられた。残念な気持ちでいっぱいである。何という悲しい結末であったのか。鉄腕ダッシュに注目したのは、ヒヨコの育て方をやった時からだ。ヒヨコの育て方が、私が子供の頃教わったものと同じだったのだ。ああ、こういうやり方は全国にあったのだ。感動した。その話を、へっついを作る友人に話したら、私もダッシュ村のかまど作りを見て、本物なので驚いたと言われた。テレビを見る習慣というものはないから、たくさん見た訳ではないのだが、この番組だけは時々見た。まあ、私が毎日やっているのは、勝手にダッシュ村の様なものだ。古民家の再建も面白い。最近やっている舟屋の移築なども興味深く見た。今は無人島に暮らす、まるで15少年漂流記を思い出すような設定で、少年魂が発揮されている。手作りソーラーカーの全国一周もなかなか良かった。結構見ているものだ。稲の話など、なるほどと教わる所が沢山あった。ああ、もっとこうやればいいのにというように他人事でなく見いってしまった。
稲の話を指導したのが、三瓶氏だった。もう江戸時代の伝統農業を実践できる人を探すことは難しくなっている。鶏のこともそうなのだが、近代農業技術が、過去の農業技術をばかばかしいものと否定するところに成り立っている。近代技術の後ろには、企業の利益が付きまとっているからだ。田んぼで草取りをしているおくれた馬鹿もん。草取りなど、除草剤一振りで終わりだ。こういう洗脳が行われた。テレビで矢ん坊マンボウの天気予報で田植え機の宣伝をやれば、手植えを続けている人間は、迷惑な奴ぐらいにしか評価されない。種籾をどう選別するか。苗作りをどうすればいいのか。苗代の水管理はどのようなものか。田植えのやり方は。稲のハザ掛けは。すべては、洗練された伝統技術がある。
江戸時代には世界的に見ても、類まれな循環型の農業技術が存在した。この農業技術は必ず次の世界に必要な技術である。養鶏でいえば、ずいぶんその技術は消えてきている。私が養鶏で発見したことは、例えばドジョウは鶏の特効薬だ。等というのはどうでもいいことではあるが、経験的に見付けた技術だ。たぶん江戸時代であれば、存在していた技術なのだと思う。稲作に置いても、それは多様な技術が江戸時代にはあった。稲穂に女穂と男穂があるなどということは、気にする稲作農家が今の時代どれだけあるだろうか。こういうくだらないような、無意味なようなことまで、こだわり、利用としたのが江戸時代の稲作技術である。稲作技術をたどると、田んぼはまるで日本教に支えられた、修行場のような気がしてくる。そのひとつの典型が三瓶氏であった。私を含めてのことだが、農家のおやじは大体に押しつけがましいのだが、三瓶氏が控え目で知性的な人であった。
ダッシュ村は場所を表示していなかったが、あれは福島の中通りか、浜通りだ。とわかった。山の様子で大体想像がついた。しかし、浪江町ではなく、飯館村あたりなのかと見ていた。それがあの3,11の原発大事故である。三瓶氏の家も避難地域に指定され、帰れないことになった。そのまま避難先で亡くなられたのだ。あの農業名人が悔しいことであっただろう。自分が耕した、培った土や水が、放射能に汚染されてしまったのだ。農業は先祖から受け継ぎ、子孫に残してゆくという使命があって成り立つ。自分一代でどうこうというものではない。自分が今頑張った土作りが次世代に行かされると思うから頑張れる訳だ。そうでなければ早い利益を求めて化学肥料を使う収奪的農業になる。文化の問題である。文明の問題である。原子力のように、廃棄物の処理すらできないものを、循環しない技術を、垂れ流しで未来世代に残そうという、身勝手な経済主義。三瓶氏はいつか浪江に戻れる日を願って、全国の農業巡りをしていたのだ。悲しいことだが、ご冥福をお祈りするしかない。