反原発デモ国会周辺

   

3月10日は明日の震災から2年の経過を控えた日曜日で、さまざまな活動が行われた。東京で行われるデモに参加することにした。今のところ意思表示が少しでも意味あるものにするためには、東京が100万人デモになることではないかと思った。主催者発表によると、4万人の参加ということである。ともかく国会の方をグルーと回って日比谷公園に一度回ってきたときに、まだこれから出てゆこうというグループがいた。たぶん、2キロから3キロぐらいのデモ行進になっていたのだろう。300グループがいたとして、一グループが20メートルとして、100メートルで1000人か。1キロで1万人4キロ続いたという計算になるのか。

これはいよいよ出発のために待っているところである。250人ずつのグループになって、5番目のところだった。

日比谷の野音に入れないで外で待っている人たちがあふれていた。

野音の中の様子だが、これ以上は入れない状態。上原公子さんが反原発市長会議からアピールをされていた。

日比谷公園へは皇居側から入ったのだが、そちらではアースデーのブース村のようなものが出現していた。

1番北側のところには、ステージがあって、そこではソーラーシステムの音響設備のコンサートがあった。ソーラーは音がいいとのことだが、そこまではわからないが、大音量であった。

佐藤タイジさんが歌ったのだが、なかなかのミュージシャンだ。周辺の人が、いつの間にか音楽に溶け込んでいった。ロックだ。

このテントの作りが素晴らしい、竹で組まれている。それが美しくできている。

ブースの方は若い人でごった返していた。犬猫の保護活動の人たちが、2組写真展示をしていた。UKC寒川の活動は出ていなかった。

ブースの入り口で焼き芋や野菜を販売している人がいた。良く見ると、10年以上前小田原でいっしょに田んぼをやったことがあり、八郷の方に移った人だった。名前が思い出せないのだが、今は富士宮の方にいるそうだ。富士宮の方でも田んぼを借りてやられているといわれていた。みんな続けている。田んぼをやることが、原発のない世界につながる。原発のない社会を作ることが今生きている大人たちの、特に団塊世代の人間の責任の取り方ではないだろうか。こんな社会にしてしまい、原発事故を招いた責任は、政治家や、官僚や、財界、とかに押しつけておけない。無関心という行動で原発推進してきた。そして、子供たちに、次世代に大きな負の遺産を残してしまった。

途中新橋寄りの交差点に、30人ほどのグループが警察に取り囲まれて、デモに暴言を投げかけていた。お上にいちゃもんをつけることが、許せないのだろうか。その言葉が、「きたちょうせん」こういう叫びなのだ。この言葉には反応してしまった。どういう意味なのだろうかと考えてしまった。北朝鮮が批判の言葉だということはわかる。同じ位迷惑だということなのだろうか。北朝鮮なら原発推進だろう。デモの人たちから、たぶんその意味で笑いが起こった。暴言の主は女性であったが、原発推進だから、反原発行進に対して怒鳴っていると思われるのだが。つい興奮して一番嫌いなものを上げたのだろうか。まさか自分たちのことを北朝鮮であると主張していたのではないだろう。右翼の人たちと片づけるのは違うだろう。反原発デモには国旗を掲げた右翼の人たちもかなりいた。当然のことで、この国を大切に考える人なら、原発で国土を汚すことは耐え難いと考える国粋主義の人もいる。戦闘服を着ているわけではなかったし、旭日旗を掲げているわけでもなかったので、右翼の人たちではなかったのかもしれない。意見はわかったので私はその意味で手を振った。

私自身何故反原発なのか。以前高校生といわれる方から、原発事故も交通事故も同じではないかという意見があった。私は反自動車社会とは考えない。この違いは、いつも気になっているところである。戦争はなぜ良くないのか。人が殺されるからではない。命をないがしろにすることは良くない。戦争が良くない理由は無意味だからである。憎悪の連鎖を引き起こすばかりで、問題の解決にならないという点である。例えば、尖閣列島が問題で、日中が戦争になり、日本が勝ち尖閣を日本の領土にしたとしても、何かが解決したわけではない。むしろ、問題は深刻化することになる。原発も似ている構図があり、原発技術はエネルギー問題の解決にはならない。早く脱原発をした国の方が、賢い選択である。当面の競争に勝利するために、廃棄物処理の手段すら確立されていない技術を進めることは、近い将来より問題が深刻化するはずである。昨日の興奮が残っていて、つい、長くなってしまった。喉が痛い。

 - Peace Cafe