中国の反日暴動
中国の暴動は反日デモの範囲は越えている。今まで、日中の友好の為に行ってきた努力は何だったのかとがっかりした。中国と日本双方に異なる問題がある。日本側では侵略戦争の歴史的評価の位置づけについて、おかしな主張が目立つようになった。明治以降の日本の帝国主義の展開は、必ず世界制覇にまで向かわざるえない、構図の中にあった。軍拡競争はそこまで行くか滅びるかである。大東亜共栄圏がアジアの開放の為の止むえない戦いであったという一面が言われる。それはたしかに世界の現実である。それを言い訳にするのでなく、どのように対応したかを考えてみるべきだ。西欧諸国の植民地主義は世界を支配しようとしていた。その結果アジアほぼ全域が、列強各国の利権に取り込まれる。その最後の砦としての日本が、西欧諸国からのアジア解放のために立ち上がる。この角度からの見方。勝利した連合国側には植民地主義に対する反省が薄い。反省が無いがために、今度は経済支配という新しい方法に進んで来た。日本も経済支配競争に加わる。
日本の大東亜共栄圏思想の背景にあったものを、西欧の圧力とは別の日本国内の角度から考える必要がある。明治政府の富国強兵策である。列強に伍してという軍事偏重の無理が、農村の疲弊を生む。明治政府は江戸時代の農村の飢餓を宣伝するようになるが、むしろ明治以降の政府の農村からの収奪は、江戸時代以上に過酷なものにならざる得なかった。国内経済の行きづまり、そこからの脱出のためには大陸進出に向かわざる得ない経済状態を生む。日本は西欧の軍事的圧力から国を守らざる得ない現実の中で、日本が西欧諸国を押しのけて、アジアに君臨しようとう思想を持つにいたる。遅れたアジアを日本が指導し、近代化し日本が中心となる大東亜帝国を打ち立てようという考え方である。眠れるアジアの民よ覚醒しろ。日本がアジア全体を指導し、導くという傲慢な思想を持つことに成る。そのことが、やむ得なかった歴史ともいえる側面と、日本の対応の誤りという面の裏表が存在する。
この日本の西欧近代社会に立ち向かう姿勢の中に、優秀で白人社会に負けない日本人が、アジア全体を支配し、指導しなければならないという思い上がりが生まれる。アジア人蔑視と日本民族の選民思想である。こうした日本の思い上がった態度が、植民地主義でアジアを支配しようとした西欧よりも、結果的に日本が憎まれることに成る。同じアジア人である日本人に植民地化された、満州国、朝鮮、台湾。そして軍事的支配を受けた、東アジア全体の怒り。白人が出て行き、代わりに現われた日本人。その日本人への憎しみは、増幅されている。アジア各国の民族国家建設の中で行われた愛国主義教育では、西欧への怒りよりも、日本への敵愾心を育てることに主眼が置かれることに成る。それは敗戦国であるはずの罪のある日本が、いち早く経済発展したことへの怒り、そして、日本に負けてなるものかというモデル。
アジア各国の政治経済は急速な経済発展の中で、格差が増大している。この経済格差は弱い層の人たちにしてみれば、明治期日本と同様の富国強兵と立身出世主義の結果と言う事に成る。大多数の人には展望が見いだせない競争。その矛盾の矛先の必要性が、刻々と増している。各国政府は愛国主義教育の中で、かつての日本のアジア進出の悪行を教育する。それは現代の企業の進出と重なることに成る。明治政府が江戸幕府の問題点を教育の中で強調したことと同じである。日本が、帝国主義を充分に反省せず、またアジアを支配しようとしている。こうした反日本主義に、すぐ共鳴してしまう背景が以前より高まっている。尖閣の問題も、国際機関に提訴すべきだ。問題自体が存在しないというのでは、竹島に対する韓国の態度と同じである。いつまでも歴史問題と呼ばれることがおかしい。問題があるなしにかかわらず、話し合いが出来ない以上第3者に託すべきだ。