聴く力
先日加賀温泉に同窓会に出掛けた。その時行き帰りを含めて、多くの友人にいろいろ聴いてもらった。随分と楽になった。そんなつもりもなかったのだけど、今思えばそう言うことだった。昔からの友達は本当にいいものだ。困っている人に出来ることは、聞いてあげること位だ。こういう考えは以前から知ってはいたが、自分が行き詰っているということ自体が、なかなか自覚しにくいものだ。話して楽に成ってみて、行き詰まっている自分に今更気付いた。キリスト教では懺悔と言うのがある。ナンシーの教会でも、教会の確か左側に懺悔の場所が並んでいた。小さな1メートル四方もない狭い場所で、格子越しに向かいのやはり狭い場所に神父さんがいる場所があった。確か入り口はカーテンだった記憶がある。出入りするところは丸見えだから、深刻な秘密を懺悔するのは難しい気がした。それでも、時々人を見かけたから、現代でも使われるていることは確かだった。でもあれは相談というわけではないのだろう。
その姿を見ると、日本人の仏教の信仰とはまるで違う感じがした。おじいさんはお坊さんだった訳で、何かと相談に来る人は多かった。しかし、それはどちらかと言えば、就職や役所への実用的な相談が多かったと思う。祖父は長年役場の仕事をしていたので、そういうことになったのだろう。聴く力と言うものがある。話すにしても誰でもいいという訳ではない。神父さんに聞いてもらいたい。と言うのもあるだろうし、特定のあの人に聞いてもらいたいという話もあるだろう。いずれにしても、心底理解してもらえるということが、話す条件である。ラジオに人生相談のコーナーがある。これを聞いているとなかなか興味がつきない。つい聞きいってしまう。様々な人生と言うのもあるが、むしろ相談者の相談より回答が面白い。わたしならこの事にどうこたえるだろうと考えていると、大体は外れる。ここでも、相談より話したということが大きいことのようだ。
自分のことで精いっぱいで、人のことどころでない様に生きて来た。まして、私自身の日々の暮らしが、あまり一般的とは言えない。時々、養鶏の見学に見える人はいる。養鶏をやろうという人、あるいはやっている人には、見てもらっている。養鶏をやれるだろうかと言う事で相談されることもあるが、それはわからない。私の家に来るにあたって、私に道を聞かなければ来れない人は大体にだめだろうと内心思う。住所が分かれば、自分で探せるような人にしか養鶏は出来ない。つまり遠回りでも自分で考える法を選択する人には、養鶏は可能である。その程度の相談であるから、参考にはならない。自分のことは自分でやるが、地場・旬・自給の基本だから、親切ではない。それでも、昔からの友達に親切に話を聞いてもらえたことで、違う場所にいることが出来る。
原発事故以来生まれて初めて追い込まれて、自分ではどうにもならないことに打ちのめされた。原発に対して何も出来なかった自分の罪。その罪に降りかかった放射能の解決は出来ない。今まで原発事故を予測しながら、それを停止できなかった自分が情けなかった。そのことに向かい合っていなかった自分の生き方にがっかりした。そして今も、政治が、すべてをごまかしで通してしまおうとしていることには、どう力を尽くせばいいのか。無力であることが辛い事である。そして何とも息づまる気分にさいなまれる。こういう気持ちを洗いざらい話すことができたことで、だいぶ楽になった。そのとき中村君が、「笹村、もう絵だけ描いたらどうか。」と言ってくれた。そういうことかもしれないと繰り返し思い出す。