インターネット選挙
インターネットは選挙を変える。世界の選挙はインターネット利用は当たり前。日本が取り残された形で、選挙でのインターネットの利用を制限している。このままでは深刻な形で政治参加が後退してゆく。政治に対する無感心及び、絶望の意識。特に若者の政治離れは、目立っている。このままでは政治家をダメにするし、民主政治が機能しなくなる。投票に行かない人が、半分を越えた国は民主主義が機能していないと言えるのではないか。その主たる原因は政治家の劣化である。政治家に志が失われたことが原因するきがする。国の未来に対して具体的なイメージを持ち、導いていけるリーダーが出てこない。これはある意味で政治家の化けの皮が剥がれたのかもしれない。昔で言えば、坂本竜馬と言っても、実際のところは良く分からない。伝説的な人間像が形成されたのかもしれない。麻生総理の時に、人間的な魅力のなさに愕然とした。言葉遣いのおかしさまで日々報道された。
情報が今の社会の中心をなしている。相変わらずテレビ情報が国を動かしている。これがおかしいと言うより上手く利用したものが政治を動かしている。インターネット情報も、少しづつ力を得てきている。この流れは誰が止めたくてもすでに止まらないものになっている。むしろ、インターネットを避けるのでなく、利用するという観点に立たなければ、政治がいよいよ停滞し、興味を失われてゆくだろう。インターネットが素晴らしいのは、お金がわずかしかかからず、誰にでも情報が発信できるということである。そこがテレビとは違う、新しい社会を作り出す、手法になる。一昔前には、ソビエトでは謄写版が禁止されているという噂があった。正しい情報と言うものが、民主主義の基盤である。正しい情報とは、万人に平等な方法である。インターネットでは、このgooブログと言うものだけでも「1,748,949」ブログあると書いてある。お金を払ったことはない。
政治家の中にインターネットは苦手だとか、インターネットは若者のものだから、年寄りの支持者が中心なので不利になる。こういう事を言う人がいる。そう言ういい訳をする人は、考えていることを言葉にすることが苦手な人だ。言葉で思想を伝えられない人は政治家には不向きな人である。そう言う人はもう時代の流れに取り残された人なのだから、政治の政界から離れるべきだ。インターネットはやらない人がいるから、これを利用して情報を発信するのは、不公平である。差別である。市民活動をする人の中にも、こういう主張をする人が結構いる。その為にインターネットを利用できない市民活動は衰退する。インターネットをやるやらないは、自由であるが。それがやりたいが出来ないというなら、学べばいい。それほど難しいことではない。字が読めないから、文字で書いたものを差別ということになれば、殆どの活動は不可能になる。すでにインターネットはそれくらい、一般的な手段になっている。
[one voice campaign]選挙運動にインターネットを解禁する運動である。まずは選挙運動はインターネット利用が一番いい。選挙カーで名前を連呼するような選挙では、何時になっても政策選挙にならない。何故政策選挙を嫌うかと言えば、現職が、あるいは政権党が不利になるからだ。選挙制度と言うものは現職有利に作られ、変えがたい。政策だけで言えば、批判勢力の方が勢いが付く可能性が高い。これも民主主義の成長次第である。民主主義の成長はインターネットの活用から始まる。政治家はすべて、インターネットで意見表明をする。そして選挙は、インターネットで投票が出来る。こうなれば、投票率も上がるし、若者も投票をするだろう。現状では、ここまでは無理にしても、将来は必ずそうなることだ。早く取り入れた地域なり国が、合理的な民主政治が成長し、良い政治が育つはずだ。
昨日の自給作業:田んぼの草刈り3時間 累計時間:8時間