情報発表に遅れ
暮らしのもっとも基本的要素である情報伝達が、上手く機能しなくなっている。どの分野でも起きている事だが、日本の政府は何故かみっともないほどである。情報が上手く流れないということは、早いとか遅いとかではなく、社会の仕組みが崩れてきている。いわば人間の機能にずれが生じてきている。日本人の資質の最も優れた要素が、あうんの呼吸のような、民俗的な合意形成能力であった。つまり民俗的な共通項が崩れてきている。それは政府だけでない。あれと思うような馬鹿な事故が起こる。市民的な活動にかかわっているが、情報をどう伝えるかということが、年々困難になる。口にしなくとも伝わるという形は成立しない。何度でも確認をしても、簡単なことが伝わらない。新しい社会伝達法を考える必要があるとすら思う。原発事故の初期対応が、まさかと思うが、悪意があるかのような、例えば、小学校20ミリシーベルト。
何故そうなったのかについ結論から書いて置けば、繰り返しになるが、稲作から離れたからである。稲作は総合的な自然観察と、社会的な人間関係の上に成立してきた。厭でも日本人という、共通の感性が出来上がった。その日本人的資質の上に、近代産業が成立したために、日本株式会社が出来上がった、ここに日本社会の優秀さがあった。それは、良くできた土に化学肥料を使ったようなもので、しばらくは効果絶大である。時間が経つにつれ、化学肥料の弊害が目立つようになり、大きな障害が起こる。これが情報伝達機能の消失として現われてきているという事ではないか。北朝鮮のロケット発射では、二重チェックを行っていたと官房長官は述べていた。事実だろう。確認している内に、日本に原爆が落ちてしまう。落ちたものが何か確認している内に、日本人は死に絶えているかもしれない。何か大切かが分かっていないのだ。
未確認飛行物体を捉えた時に警戒システムで流せばいい。そして、違っていたなら、後から、それは短距離のミサイルであったとか、ロケット打ち上げの失敗であった、と追加情報を出せば済むことである。しかし、すぐに出せなかったことの原因は、国民不信である。国民を信頼できなくなっている。北がロケットを打ち上げたと、警戒情報を出せば、何が起こるか分からないと考えてしまう。国防上のデモンストレーションで、あるいは練習で、PAC3を並べた位に思っていたが、案外本気だったのかもしれない。その上での行き違いという、頓珍漢なのだ。これは田中防衛大臣をいじめて辞めさせたが、仕方がない事だ。国民に北朝鮮の野蛮行為を強調している内に、政府自らが大変な事態だと思い込んでいたのかもしれない。原発事故の情報隠しと似ている。情報を出せばパニックや暴動が起こると本気で考えていたのかもしれない。報道は、情報を出さなかったことで、パニックを避けられたと手柄顔ですらある。
原発でまた事故が起きて、日本を壊滅するリスクは、停止している今でもある。まず、六ヶ所村の核燃料再処理システムの廃止。プルサーマル計画の中止。当然のことがいつまでも出来そうにない。政府が機能していないから、肝心のエネルギーの将来計画がいまだに計画出来ない。原発を止めてどうすればいいのかが出てこないから、再稼働問題が電力不足を理由に進行する。原発の規制委員会も相変わらず進まない。誰が安全を検討するのかが、決まらないのだから、本来であれば再稼働が出来る訳がない。結局、政府のトップの原子力の素人4閣僚が、安全の最終判断したなど、安全というものを理解できていないとしか思えない。安全を政治判断するなど、バカバカしすぎる。どうも国民の方が政府よりは、判断力がある。すべての情報を出す事しか道はない。
昨日の自給作業:野菜苗の植え付け、田んぼの均し2時間 累計時間:44時間